「ぬしサマ… これで良かったの? 」 強化措置が施された国防軍のイカレタ将校を、あっさりと手玉にとった少女は、 探る様な目をして卓也に問いただす。 「えっ… ああ、上出来だよ」 当面の危機は少女の力で回避したが、抜本的な問題の解決の糸口の見えぬ若者は 、何とも言えない表情で考え込んでいる。そんな卓也の複雑な気持ちなど無視し て、彼女はいきなり勢い良く卓也の胸に飛び込んで来た。 「ねえ、ほめて… ぬしサマの言う通りにしたんだから、もっと、ほめて… 」 つぶらな目を見開き、満面に笑みを浮かべた少女の無垢な望みを聞かされて、思 わず難しい状況の事を忘れた徹は、少女をしっかりと抱き締めてから、後に頭を 撫でてやる。一千年以上の長きに渡って、他者に心を開く事の無かった希代の大 妖怪は、目を細めて嬉しそうに微笑みながら、若者の分厚い胸板に頬をグイグイ と押し付けて来る。 何の衒いも無く愛情を求める少女を受け止めた卓也は、何としてもこの子を守っ てやらなければと、決意を固めていた。だから、森の中から茜と徹が姿を見せた 時にも、もう若者の決意は揺るぐ事は無かった。場合によっては、一族を出し抜 いてでも母狐が永眠し祀られた地へ少女を連れて行くつもりに成っている。しか し、指揮官である茜の口から発せられたのは意外なセリフだったのだ。 「なによ? 現場でナンパ? 大した度胸よね、昨今の新人は… 」 茜は呆れた様子で呑気な台詞を言い放つと、その場に脱ぎ捨てられていた卓也の 服の上着を拾ってから、少女の背後ゆれる九つの尾を無視してやさしく羽織らせ た。新たに現れた二人には敵意が無い事を承知している少女も、大人しく茜の好 意に甘えている。 「ほら、あんたもボケっとしていないで、いいかげんに服を着たらどうなのよ。 見せびらかす程の道具じゃ無いでしょう? 」 女隊長から指摘を受けて、ようやく卓也は自分がまだ全裸である事を思い出すと 、顔を赤らめ慌てて辺りに脱ぎ散らかしたままの着衣を身に付けて行く。 「それで、この子、名前はなんて言うんだ? 卓也」 茜の隣で苦笑いする徹の問いかけに、ようやく黒のTシャツを頭からかぶった若 者は絶句した。 (なっ… 名前って… えっと、その… あっ! そうか! 徹さん等には、こ の子の九つの尻尾が見えていないのか? それで俺がナンパを… ) 勝手に誤解した卓也は、Tシャツを着終えると慌てて口を開く。 「えっと、この子は、その… あの… ヨウコ、そう、ヨウコです」 妖怪の狐から、妖狐、ヨウコと成った自分の発想の貧困さに絶望しながらも、一 度口走ってしまった以上は、ヨウコで押し通すしかあるまいと、卓也は悲愴な覚 悟を決めた。 「ヨウコ… 妖狐って… お前なあ、まんまじゃないか。ネーミングのセンス、 悪すぎるぜ」 徹の軽口に、卓也は顔色を失う。 (ヤバイ… バレている。あっ… やっぱり、しっぽは見えているんだな。でも 、それなら、なんで? ) どうすれば、この場を切り抜けられるか途方に暮れる若者の前で、茜が微笑みな がら少女に語り掛ける。 「あなたの名前はヨウコなの? 」 「ハイ、ぬしサマが決めてくれた名前ですから、私はヨウコです」 名前を決めてもらったことが嬉しいのか? 茜の側を離れた少女は二人の目も憚 らずに卓也の腰の辺りに抱き着きバサバサと尾を振る始末だ。 「そう、それじゃ、彼方は妖子と名乗りなさい。それから、人前では、その綺麗 な尾っぽは隠しておくのよ。モノ珍しがりやの連中が大騒ぎするからね」 茜の台詞に頷いた少女は、ちいさく何ごとかを口の中で呟く。 「おっ… うまく消せるものだな。それから、その耳もなんとかした方が良いだ ろう。猫耳モードじゃ無いが、世間に出たら鬱陶しいアキバ系のお兄さん等が 喜んで列を成してついて来るぜ。うん、そうだ、それで良い」 女隊長に続いて徹からの注文にも、おそらく妖子は応じたのであろう。九尾の狐 にとって、己の外観を惑わすくらいは朝飯前の事である。しかし、霊感が少しも 無い卓也にとっては、狐の少女に何の変化も無く、腰の下付近には相変わらず九 つの尾が揺れているし、ピンと尖った耳もそのままだ。 「ほら、卓也、なにをボンヤリしているの? 用事も済んだんだから、向こうで 困っている他の3人の新入りを拾って、一旦、東京に帰るわよ」 ここに集結した本来の目的を無視して、茜は撤収の指示を出す。 「あっ… あの、その、俺… 」 撤収命令を聞いて、卓也が慌てて口籠る。 「なによ? マズいことでもあるの? 」 厳しい目をした女指揮官の呼び掛けに、新入り隊員は冷や汗を浮かべた。 「あっ… あ、あの、すみません。俺、ちょっと用事が出来ちゃいまして、そ の… 単独行動を許可して下さい。お願いします、隊長」 少女の事を黙認してくれるならば、ここは一刻も早くに彼女を母親が祀られて いる御句麗山の狐塚へ連れて行きたいと願い、卓也は叱責覚悟で隊長に直訴し た。無論、任務の途中で勝手な行動に出るなど言語道断ではあるが、それでも 千年以上も封じられていた少女の気持ちを思えば、寄り道しているゆとりは持 てない。厳しい言葉を覚悟した卓也は、それでも一歩も引かぬ気構えで女隊長 を見つめた。 「あら、そう… わかったわ。それじゃ、ここで別れましょう。部隊から長く 離れるようならば、電話してちょうだい」 明確な規則違反にも関わらず、理由も聞かずに茜はあっさり納得してくれたか ら、奥歯を食いしばり女隊長からの罵詈雑言を覚悟していた卓也は、肩すかし を喰らった気分で唖然と成る。 「ほら、車の鍵だ。この山に入る前に集合した、あの廃校を憶えているな。あ そこの校庭に並んでいる国防軍の高機動車の中で、ナンバーが◯◯ー◯◯の 車を使え。特殊空挺の連中の検問があったら、『紅』の身分証明書を見せて やれば、たぶんフリーパスだ。可愛い子と一緒だからっと言って、浮かれて 事故を起こすんじゃないぞ」 笑い顔を浮かべてからかう徹から、車の鍵まで投げ渡された事で、卓也はかえ って心配にすら成った。 「あの… 俺、その… これから… 」 「あん? 面倒臭い報告は後でゆっくりと聞いてやるから、お前はお前の成す べきだと判断した事を、さっさと済ませてしまえよ。じゃあな、何かあった ら連絡しな」 なにがなんだか、さっぱりと分かっていない若者を放り出して、茜も徹も森の 中へと消えて行く。腰の辺りにしがみつき、ニコニコしながら九つの尾を振る 希代の大妖怪を抱え込んで、卓也は姑くは途方に暮れてしまった。
妖狐 完
今回をもちまして、おそらく2ヶ月ほど週間の定期更新をお休みします。また お休みの最中にもチョコチョコと色々不定期なアップは予定していますから、 隙な時にでも覗いて見て下さいね。
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