その6

 

 

 

確かに、ヤクザとの癒着した上での機密の漏洩に比べて、押収した麻薬の横流し

では、その犯罪の種類は格段に異なるであろう。犯罪組織から押収した麻薬がま

かり間違って横流しされていれば、おそらく中川を始めとして、近畿管区の警察

局のトップにまで責任問題は及ぶ事に成る。あやうく不名誉極まりない引責辞任

を免れた事は認めるが、それでも中川は釈然としない様子で2人の部下を睨んで

いる。

「まあ、良いだろう。とにかくお手柄だったな」

しばらく無言の鬩ぎあいが続いた後で折れたのは、意外にも本部長である警視正

の方だった。

「後の始末は我々に任せてくれて構わんよ、君には別件の特命が待っているから

 な」

腐敗警官の摘発を終えた哲三は、つまらない後始末から解放されるのは大歓迎だ

。しかし、故意にコケにした本部長から意外にも小言が少なかった事を、手練の

警務課の警部補は訝しむ。黙ったままで彼を睨む手に負えない部下を前に、中川

はつい2時間程前に東京の同期と交わした電話会談の内容を思い出して密かに心

中でほくそ笑む。

 

 

話は2時間前に遡る… 

『とんだ災難だったな… 副本部長が腐敗していたとは』

キャリア同期の気安さから、東京の相手はざっくばらんに問いかけて来る。

「その事で参事官殿にお願いと言うか、提案があるんだよ」

当たり障りの無い世間話の後でころ合いを見計らい、中川は電話の向こうの同期

におもねる様な口調で希望を切り出す。

『なんだよ? 中川、近畿管区には俺の影響力は及ばないぜ』

厄介事を予感した警視庁の参事官は、いくぶん声を固くして答える。

「なに、大したことじゃ無い。今回の騒動の片棒を担いだ警務課の2人を、しば

 らく警視庁で預かって欲しいのさ。後始末をする上で2人がこっちに居るのは

 色々と邪魔なんだよ、分かるだろう? 」

ムシの良い申し出に、電話の向こうで同期の参事官が呆れる気配が伝わってくる

から、中川は慌てて言葉をつなぐ。

「これはお前にも利がある提案なんだぜ。ほら、この前に本部長会議の後で銀座

 で飲んだ時に、お前、こぼしていただろう? あのアメリカから来たFBIの

 爆弾女の所行をさ? 」

日々胸を痛めている夕子・グリーン捜査官の暴走に話題が及んだ事から、警視庁

の参事官はもう少し身勝手な同期の話を聞く気に成る。

『だから、どうだと言うんだ? それと、やっかい者の警務課員2人を預かるの

 と、どう言う関係があるんだ? 』

向こうが餌に食い付いた事を確信した中川は、ここぞとばかりに畳み掛ける。

「それだけ暴走を繰り返すお嬢さんならば、おそらく規則違反の1つや2つはあ

 るだろう? ウチの亀谷警部補は扱いにくい非常にやっかいな奴だが、それで

 も腕は抜群の警務課員だ。おそらくFBIの捜査官の不正なやり口を暴き出す

 だろうよ。なあ、考えてもみろよ、毒をもって毒を制するチャンスだぜ」

彼の意外な提案に、受話器の向こうで同期の参事官が考え込む気配が伝わって来

る。中川はここが山場とばかりに言葉を続ける。

「うまくすれば亀谷警部補と、そちらの手に負えないアメリカ人捜査官の共倒れ

 も期待できるし、仮に片方が喰われてしまっても、それはそれで儲けモノだろ

 う? 」

夕子の暴走に次ぐ暴走にはほとほと手を焼いていから、余りにも甘美な悪魔の囁

きに抗い切れず、警視庁の参事官は結局同期である中川の誘いに応じて2人の大

阪府警察の警務課員を、しばらく預かる事を承諾してしまったていた。

 

 

「何しろ、警視庁から名指しでの助っ人の要請だから断るわけにも行かないだろ

 う? しっかりと任務を果たして府警察の実力を思い知らせてやりたまえ」

無気味な程に上機嫌な本部長に送り出された哲三と桜子は、如何に胡散臭い話で

あっても業務目命令を無視する事は出来ないから、釈然としない思いを各々の胸

に秘めたまま、その日の夕方の新幹線で東京を目指していた。

 

 

 

嫌に成る程の青空がどこまでも続いている。180度どこを見回しても雲ひとつ

見当たらない風景の中で、彼の操る機体が一筋の飛行機雲で青い空を切り裂いて

いる事だろう。運用開始が1961年のT38だから、当然操縦系統のフライ・

バイ・ワイヤー化などされてはいない。

だから徹はダイレクトに感覚が伝わる操縦桿をしっかりと握り締めて機種を南に

向ける。マックス・パワーはアフターバーナーを使えば2900ポンドを絞り出

し、マッハ1、08までは増速可能な機体であるが、スロットルの開度は90パ

ーセント程度に控えているから、搭載している2機のゼネラル・エレクトリック

社製J85ーGEー5ターボジェットエンジンには余裕がある。

動力性能やアビオニクス等は最新鋭の戦闘機には比べるべくも無いにしろ、この

機体から派生したF5シリーズはまだ幾つかの国では現役で頑張っているのだか

ら、そう侮るべき代物でも無い。

『しかし、CIAっていうのも大変だよな、トオル。まさか戦闘機の操縦資格ま

 で必要になるとは… いったい、どんな任務に役に立つんだ? 』

後席に着座するアメリカ海兵隊航空団の飛行教官のロバート大尉とは、もう2ヶ

月近い付き合いに成るので、口調も砕けてざっくばらんだ。即席の教育と言って

も、50日以上も連日数時間の航空教習を受けている徹であるから今では余裕も

あり、ルーティーンの作業の合間には黒人の教官は雑談を振って来る。

「さてね? お偉いさんの考えている事は分からないよ、キャプテン」

まったくデジタル化はされていない、極めて煩雑な配置の計器類に忙しく目を走

らせながら、徹は心ならずも気の良い飛行教官に対して偽りを口にしなければ成

らない。とうぜん彼は、この無茶な研修が誰の計らいで実現したのか、嫌と言う

程に知っている。もしも、ニュー・ハンプシャー出身の朴訥な黒人教官に対して

、彼の美しくも邪悪な女上司の思い付きが原因だと話しても、けして信用される

事は無いだろう。事の起こりはテレビの番組を見て徹が漏らした不用意な一言だ

った。

 

 

 

 

 

 


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