(尾行を始めて4日間、あの若造には何の特別な動きも見られない。だが、こ んなふやけた事をしていて、あの凄まじい実績をのこせるわけが無いからな 。絶対に何か秘密があるはずだ。そこが突破口に成るに違い無い) さすがに手練の警務課員だけあって、徹や夕子の秘密に関して彼はかなりの部 分まで肉迫している。 (こう成ったら根比べだぜ、あの若造が動くまでは、しっかりとマークしてや る) 悲しいかな、本当の黒幕が夕子である事を知らぬ哲三は、黙々と泳ぎ続ける徹 を睨み決意を新たにしていた。
(おや? 彼奴、俺以外にも付けられているぞ? これはいったい、どうした 事だ? ) 警視庁へと戻った2人の容疑者の内の、徹だけが一旦は外出した事から、神田 まで後を付けた警務課員は明神下の甘味所で夕子の好物の草餅を買い求めた若 者を、自分とは異なる連中が尾行している事に気付く。戸隠忍者の末裔である 哲三だからこそ見抜いたが、なかなかに巧妙な尾行であるから、徹が気付かな いのも無理は無い。 (1、2、3… いや、4人か? これは面白く成って来たぞ! いったい何 は起るんだ? ) 本来ならば警察の仲間である徹に接触して、それとなく尾行の事を知らせてや るのが仁義ではあるが、彼を被疑者と目する警務課員は、一騒動持ち上がり逼 塞した事態が打開される事を期待して、わざと謎の尾行者達を見過ごしたまま で、そっと後をついてゆく。そして、それは神社脇の昼でも人気の無い路地に 差し掛かった時に起った。 (まっ… まさか! 狙いは… 奴じゃ無く、俺? そんな… 何で? ) 4人の尾行者の気配が変わり、殺気にも似た緊張感が彼に集中したのを察した 哲三は、慌てて懐を探り愛用のチーフスペシャルの銃握を掴む。 「動くな… 」 横の狭い路地から姿を現した謎の男の手には、不格好な消音器の付いた自動拳 銃が握られている。この男だけならば、なんとでも成る哲三だが、彼を拉致せ んとする仲間が、少なくとも少し離れた3方向から、同様にサイレンサーの付 いた自動拳銃を獲物に向けて構えている気配が感じられる。 (しまった… まさか、こいつら、あの若造の仲間なのか? ) 驚きと屈辱が混ざった顔で哲三は前を向くが、すでに徹の姿は見えなく成って いる。慎重に距離を開けて尾行していた事が、どうやら裏目に出ていた様だ。 「勘の良いお巡りさんだぜ、そのままゆっくりと銃を抜け。分かっているとは 思うが、俺は一人では無い。おかしな真似をすれば、背中に風穴が幾つも開 くぞ」 自分を警察官と知っての上でのプロの所行だから、哲三はとりあえず言われた 通りに拳銃を抜き、促されるままに暴漢に手渡した。男は手慣れた様子で弾倉 を開き、5発の38スペシャル弾を路上にバラ撒く。 「貴様ら、どう言うつもりだ? 何か勘違いをしてやいないか? 」 この窮地に陥っても、少しでも情報を得る為に強かな警務課員は慌てる事も無 く静かに問いかける。目の前の男ひとりであれば、身に付けた忍の体術で制す る事も不可能では無い。しかし、背後や両脇からの攻撃を全部避けるのは、い かに哲三でも難しい。連中の尾行に気付ていたにも関わらず、抜き差し成らぬ 事態を招いた迂闊さに臍を噛みながら、彼は正面に立つ襲撃者のひとりを睨み 付ける。 「そう怖い顔をしなさんなよ、警察内部の犬に噛まれる趣味は無いんだ。大人 しく付いて来れば、命まで取ることは無いからな」 プロとしての手際良さを感じさせる男は、消音器付の拳銃の照準をピタリと警 務課員から離そうとはしない。手慣れた相手の様子から隙を見い出す事が出来 ない哲三の耳に、いきなり派手な9ミリ拳銃の発射音が立て続けに飛び込んで 来た。彼の背後にあった殺気が銃声に惑わされて霧散すると同時に、目の前の 男も驚き不用意に手練の警務課員からサイレンサーの鉾先を外したから、哲三 は与えられたチャンスを無駄にする事なく反撃に出る。 「あっ、貴様! 」 瞬く間に摺り足で敵に肉迫した戸隠忍者の末裔は、襲撃者の右手を掴むと先祖 代々伝わる忍の体術を用いて、あっさりと手首を外して見せる。耳障りな音を 立ててアスファルトに消音器付のマカロフが転げ落ちた時には、武器を失った 襲撃者の股間に哲三の容赦のない蹴りがくい込んでいた。 「ぐぇぇぇぇ… 」 男がうめき声を上げて路上に崩れ落ちる瞬間に、哲三は背後から身の毛もよだ つ殺気を感じたから、慌てて右に躯を投げだして道路を転がる。直後に彼の立 っていた場所を鉛玉が高速で通過して、壁に小さな穴を作った。 軍用拳銃としては初速に問題がある上に、消音器が邪魔に成り威力を大幅に削 られている9ミリ・マカロフ弾であっても、至近距離から防弾チョッキ無しで 受けるのは御免被りたい哲三は、必死に身を伏せながら遮蔽物の影に転がり込 む。 拳銃は取り上げられてしまったままの彼には、自衛の手段は無い。しかし、哲 三を狙っていた襲撃者の一人も、離れた場所から響いた銃声の直後に、持って いた拳銃を吹き飛ばされたから、忍者の末裔である警務課員の返り討ちにあっ て倒れた仲間をそのままにして、慌てて身を翻して路地の奥へと掛け去って行 く。どうやら、他のメンバーは、最初の銃撃の後にいち早く現場から逃げ去っ ていた様だ。しかし、哲三の機敏な反撃で襲撃者のひとりを何とか確保する事 は出来た。 「大丈夫ですか? 亀谷警部補… 」 ベレッタ社製のM92の軍用バージョンであるM9を腰のホルスターに納めな がら、何事も無かったかの様子で徹が近づいて来る。明らかに被疑者から助け られた事に複雑な思いを抱きつつ、亀谷は慌てて倒れている容疑者の元に歩み 寄り手錠を掛けた。 「はい、これ、どうぞ」 バラ撒かれた5発の38スペシャル弾とチーフスペシャルを、拾ってくれた徹 から受け取った亀谷は困惑を深めていた。この襲撃者達は明確に彼を狙って来 たが、その行動を過激な行為で阻止したのは、事の黒幕と目している徹自身な のだ。根がまめな若者は、憮然とする警務課員の前で、襲撃者達が落としてい った消音器付きのマカロフも拾い集めて、犯人を確保した亀谷の足元に積み重 ねる。 「警務課って、大変なお仕事なんですね? こんな風にちょくちょく狙われて しまうのですか? 」 一見、脳天気に見える若者が、類い稀なる腕前でプロと目された襲撃者を排除 した事を重く見て、やはり亀谷は疑いをぬぐい去れない。 「いや、こんな事は初めてだよ。まあ、何にしろ… 世話に成ったな」 とにかく彼の窮地を救ってくれたのは、目の前の若者だったから、とりあえず 哲三は頭を下げた。
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