捜査官 4 その19

 

 

 

 

「いえいえ、御易い御用ですよ。それから、もう連絡は済ませましたから、す

 ぐに所轄の機捜が駆け付けてくれます。それじゃ、僕はこれで失礼しますね」

警察官襲撃の重大事件が発生した現場から、事も無く立ち去ろうとする若者を

前に、哲三は少し慌てる。

「おい、待てよ、現場検証があるし、事情だって… 」

徹は振り向くと、微笑みながら首を横に振る。

「だめだめ… そんな悠長な代物に引っ掛かっていたら、夕子さんの3時のお

 やつに間に合わなくなっちゃいますからね。今日は安天堂の草餅って決めて

 いるんですよ。襲われたのは亀谷警部補なんですから、この場は警部補に御

 任せします。それじゃ… 」

徹は振り向くと足早に現場から去って行く。

「おい、待てよ、岸田巡査! おい、岸田! 」

警務課員の呼び掛けも虚しく、パトカーのサイレンが近付いてくるのと反比例

して、若者の姿は遠くなり、やがては視界から消えてしまった。

 

 

「畜生め! とんだ無駄手間だったぜ… 」

所轄の機動捜査班へ一通り事情を説明した後で、捉えた襲撃者の尋問にも立ち

会った哲三だったが、一言も口を利かない男との睨めっこに業を煮やして、夕

方に一旦は警視庁へと戻って来ていた。

「おい、桜子! なんで電話に出ないんだ? あれ… 」

本庁内に与えられた部屋のドアを開いた哲三は、てっきりここに隠って資料の

解析に取り組んでいると思い込んでいた美人の相棒が何処にも居ない事に動揺

した。

(先に帰ったのか? いや、まさか… そんな馬鹿な)

出張中の宿舎である警察の寮に戻るにしても、あるいは他に何かの用事で出か

けるにしても、机にメモ書きも残さぬままで姿をくらませる部下では無い事を

、哲三は知り尽している。彼女が何も残さずに消えたのは、それなりの理由が

あっての事であろう。

コンコン… 

物思いに沈む警部補の耳に、ドアをノックする音が飛び込む。

「おう! 桜子か? 何処に行っていたんだ? 」

てっきり美貌の部下が戻って来たと思い込んだ哲造は、己の考え過ぎであった

と判断して苦笑いを浮かべながら問いかけた。

「失礼します。残念ながら緑山巡査ではありません、亀谷警部補」

入って来たのが、桜子ではなく徹だった事から、哲三は驚き、次いで渋い顔に

成る。

「さっきは世話に成ったな、お陰で命拾いをしたが、何でお前はすぐに立ち去

 って… 」

そこまで語った上役である警務課員を制して、徹が口を挟む。

「お話の途中ですが、緊急を要する些か困った事態が持ち上がっています。A

 M11:05に、緑山巡査はこの部屋で急に意識を失い、救急車で搬送され

 ました」

冷静な徹の言葉に、哲三は呆気に取られた。

「そっ… それで、どうして倒れたんだ? 何が悪いんだ? いや、何処の病

 院に運ばれたんだ? 教えてくれ」

不意を付かれた哲三は慌てて若者に問い質す。

「なぜ、緑山巡査が倒れたのか、原因は不明です。そして、今、総務で問題に

 成っているのですが、この管轄内で本日警察官が病院に担ぎ込まれた形跡が

 、一切見当たらないのですよ。それに、彼女が倒れた時に一緒に居て、その

 後に救急車に同乗して行った何者かが、複数の内勤者に目撃されているので

 すが、この人物も今のところ誰なのか? 特定されていません。つまり… 」

徹の言葉が終わるのを待切れず、哲三は叫ぶ。

「まさか! 俺を昼間襲った連中の仲間が、この警視庁にも乗り込んで来て桜

 子をさらって行ったと言う事なのか? そんな馬鹿な! 」

白昼堂々の大胆な犯行であるが、立て続けて2人の警務課員を襲った凶行を思

えば、関連付けしない方に無理がある。唖然と成る哲三に、若者は落ち着いた

様子で説明を続ける。

「本庁舎の目と鼻の先にある御成門署の管轄内の消防署から、1台の救急車が

 盗まれたとの報告があったのがAM10:45、この車は50分後に、公立

 銀座第2病院の駐車場で発見されました。おそらくこの盗難救急車が犯行に

 使われた代物と思われます。現在鑑識が詳しく調べていますが… 」

彼の報告を聞いている最中に、ふと思い立った哲三は慌ててドアに向って駆け

出そうとする。しかし不遜な巡査は焦る警務課員の軽率な行動を阻止するため

に腕を捕まえる。

「待って下さい、あなたもおそらく標的のひとりなんですから、迂闊に出歩か

 ない方が良いですよ、警部補」

腕を掴まれた警務課員は、ギョロ目で徹を睨み付けた。

「さっき捕まえたあの野郎を吐かせれば、何もかもハッキリするじゃないか!

 お前だってそれぐらいの事は分かるだろう? 彼奴が最大の手がかりだ! 」

これまで足留めされていた所轄署に戻るのを邪魔されて、哲三は苛立ち大声を

張り上げた。

「多分無駄足に成りますよ。とにかく少し落ち着いて下さい、既に幾つかの手

 は施してありますから」

憤る警務課員をしっかりと捕まえたままで、徹は携帯電話を取り出すと目当て

の先を選びだしてコールする。

「あっ、署長さんですね? 先程お電話しました外事3課別室の岸田ですが…

 どう成りましたか? えっ… はい… はい… そうですね、治外法権です

 から、致し方ないと思います。分かりました。それでは失礼します」

彼の会話の内容が理解出来なかった哲三は、捕まえられている手を振り解こう

ともがくが、意外に力強い徹の手を払う事が出来ない。

「やっぱり今から所轄に出かけても無駄足に成りますね。容疑者は既に1時間

 前に釈放されてしまいました」

徹の言葉に、思わず哲三は乱暴な言葉で反発する。

「馬鹿を言うな若造! 彼奴は町中で消音器付きのピストルを振りかざして、

 俺を襲って来たんだぞ。こんなに短時間で絶対に釈放に成るわけ無いだろう

 が! 」

顔を興奮で赤くする警務課員を前にして、徹はあくまで冷静だ。

「彼等の身分が判明しました、大使館の関係者だったのです」

「なんだって? まさか、半島の北の連中なのか? 」

徹の言葉に、早合点した哲三が憶測を口にする。

「いえ、ちがいます。バンビリア公国って、御存知ですか? 亀谷警部補? 」

若者の問いかけに、哲三は困惑しながら首を横に振る。

「99年に東アフリカの◯◯から独立した小国なんですが、あの男はバンビリ

 アの2等書記官の身分だそうです。大使館の方から迎えが来て発覚しました

 。警部補に対する襲撃は、彼等に言わせると、亀谷警部補から先に挑発した

 結果の単なる個人的な諍いだったと釈明していますね。まあ、どんな理不尽

 な説明をされても、相手が大使館の関係者と成れば治外法権の壁のせいで、

 もう尋問は不可能です」

いきなり名も知らぬ小国の大使館関係者に襲撃された事実を知らされても、ど

うにも哲三は腑に落ちない。

 

 

 

 


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