「着信拒否か… 」 携帯電話を片手に健太は溜息を漏らす。 「ああ、今度も駄目だった… まあ、自分が悪のは分かっているけれど… やっ ぱり切ないよなぁ… ふぅ〜」 昼飯のカレーを食べ終わり、駄目モトで電話を入れた彼だったが、悲しい現実を 突き付けられて大いに落ち込んでしまう。がっくりと肩を落としている場所は、 かなり大きな学食であるが、相応に生徒数も多い大学だから昼食時には相当な混 雑を見せている。 (まいったな、あの子なら、いけるかと思ったけれど… やっぱり難しいよな) 皿に残っていた福神漬をスプーンですくい口に放り込んだ健太の前に、ひとりの 女性が現れた。 「あの、相席しても良いでしょうか? 」 ふと見渡せば、さすがに昼食時とあって、もう開いている席は見当たらないから 、彼は丁寧に挨拶して来た女性に頷いてみせる。 「ええ、結構ですよ、どうぞ」 セルフサービルのトレーにセットのランチを乗せた女性を見て、健太は落ち込ん だ心を見透かされない様に、つとめて快活に返事をした。 (ヤバイかな、そろそろ席を空けないと、かなり混んで来ているものな) 自動販売機で買い求めた紙コップのコーヒーも、ようやく猫舌の健太好みに冷め て来ていたから、彼は一気に咽に流し込む。 (えっ… なんだ? ) 妙な視線を感じた彼は、飲み干したカップをトレーに戻すと顔を前に向ける。さ っき挨拶を交わしてから席についた女性が、ランチに手を付ける事も無く訝しげ に健太を見つめているのだ。 (なんだよ、そんなに睨んで… あれ? どこかで会っているかな、なんとなく 見覚えがあるけれど… 誰だっけ? ) ほんの数秒間であるが奇妙に緊張感の漂う見つめ合いの後に、沈黙を破ったのは 彼女の方だった。 「健兄ちゃん? 」 懐かしい名前で呼び掛けられた事が古い記憶の引き出しを開ける鍵と成り、健太 も彼女の事を思い出す。 「祐子? 祐子なのか? 」 「そうだよ、健兄ちゃん! 祐子よ、竪山祐子! わぁ… 懐かしい! 」 急に思い出せなかったのも無理はない。竪山祐子は彼の実家の隣家で暮らしてい た幼馴染みだが、彼女は小学2年生の頃に家の都合で地方に引っ越してしまって いる。 (えっと… 3つ下だから、今年入学か? しかし、驚いたな。あの祐子が、こ んなに綺麗に成るなんて… ) 確かに遠い昔の面影が無いでは無いが、おそらくは母親が不器用だったのであろ う、いつも乱雑に髪を纏めて、夏には真っ黒に日焼けして、冬には鼻を垂らして 遊んでいた幼子が、こんなにも鮮やかに美しく変身を果たすとは、昔を知る健太 には信じられない。彼女の方で思い出してくれなければ、おそらく健太は気付か ぬままで、席を離れていた事であろう。 「祐子か? いや、祐子さんか。懐かしいな、驚いたよ」 きょうびの女子大生らしく、きちんとした服そうの美女を前に、健太は昔の彼女 を思い出して頬を緩めている。隣家で育った祐子は彼になつき、どこに行くにも 付いて来たものだ。健太が幼稚園に通い始めると、自分も行くとダダを捏ねてい た可愛い娘の思い出が、美しく成長した祐子を目の前にして鮮やかに蘇る。 「祐子でいいよ、本当に変わらないね、健兄ちゃんは… ああ、驚いた。でも、 すぐに分かったわ」 昔は真ん丸かった顔も、今ではすっきりと細く成り、切れ長な目を細めて微笑む 美女を前にして、健太は直前に手厳しくフラれた事も忘れて懐かしい思いで心が 温まる。 しばらくは互いの家族の近況の報告や、共通の知人達の消息の紹介などで、学食 と言う場所柄も弁えずに二人は大いに盛り上がる。会話に中で健太は彼女が英文 課の学生であり、家族とは離れて学生専用のアパートでの一人暮らしをしている 事を知った。 「なに? それじゃ、健兄は1浪1留で、まだ2年生なんだ? あはははは… 」 3才年下の彼女の屈託のない笑い声に、ほんの少しだけ昔の面影を見い出して、 健太も苦笑いで応える。容姿は大人びた彼女だが、ランチを頬張りながら笑い声 を絶やさない陽気さは昔のままで、少し健太をほっとさせている。お互いにここ に至るまでの話を披露し合っていると、あっと言う間に昼休みは終わりに近づく 。 「それじゃ、健兄、またね。絶対に電話するから、先に帰ったら嫌よ」 幸い二人共、5限で今日は授業が終わる事から、携帯の番号をやり取りした後に 次の授業の為に彼等は学食を後にする。久しぶりに会った祐子の明るさに救われ て、健太は直前の失恋の痛手を大いに癒されたものだ。 以来、二人は時折会って話を弾ませる様に成っている。もっとも、最初から祐子 には恋人が既にいる事を聞かされていたから、多少残念には思いながらも健太は 野心を捨てていた。どんな男と付き合っているのか? 少しは興味もあるのだが 、妙に嫉妬するのも嫌だから健太はその点には目を瞑っていて、あくまで幼馴染 みのお兄ちゃんとして祐子に接している。 (そう… その方が、良いんだ! さもないと、また、俺… あの悪い癖が出る からな。だから、祐子とは友達でいよう) 己の性癖を思うと、彼は祐子に付き合っている男がいて良かったとさえ感じてい る。何事も無ければ幼馴染みの二人の距離はこれ以上は縮まる事も無かっただろ う。しかし… 半年ぶりに本格的な掃除を終えて、数少ない家具を元の位置へと戻しつつ、健太 はほのぼのとした気分を味わっている。昨日の昼間、学内のラウンジで落ち合っ た祐子から、折り入って相談があると持ち掛けられた健太は、今日の訪問を快諾 している。 しかし、承諾した後に自分の暮らす部屋の惨状を思い出した彼は、ほぼ1日かけ て2Kのアパートの根城を慌てて掃除していた。築20年の安普請のボロアパー トだが、隣で暮らすサラリーマンは出張が多いらしく、めったに在室していない ので騒音問題が皆無なのは嬉しい。 祐子が暮らす女子学生専用マンションは男子禁制な事から、しようがなく健太は 大掃除を敢行する羽目に陥っていた。転がるゴミや雑誌、それにガラクタの類い を一掃すると、以外に広い部屋だった事を思い出して、健太は苦笑する。勢いの 付いた若者は、そのまま風呂とトイレの掃除済ませてピカピカに磨き上げた。 「なんだ、俺って、やれば、出来る子なんじゃない? 」 綺麗に片付いた自室を眺めて、健太は腕組みしながら満足して頷く。中途半端な 時間だが、夕食は祐子が来てから好みを聞いてピザのデリバリーを頼めば良いだ ろうと思っていると、ほぼ予定通りの時間に呼び鈴の音が鳴り響く。片付いた部 屋だと呼び鈴の音まで違って聞こえる、などと妙な感慨に耽りながら、時間通り に訪れた幼馴染みを彼は笑顔で迎え入れる。
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