その2

 

 

 

 

姉の呼び掛けに、リビングと和室を仕切る引き戸が開き中から大男が顔を出

す。

「切符は昨日の夜に預かったじゃないか。ほら、僕が持っているよ」

常男は笑いながら背広の上着の内ポケットからJRの派手な印刷の封筒を取

り出してヒラヒラさせる。

「あら、そうだったかしら? ねえ、私のポーチを知らなくて? 小さな水

 色の… 」

わざと義兄から目を逸らしている加奈子を他所に、芳美はきょろきょろと辺

りを見回す。

「それならば、昨日の夜に茶色のバックに入れていたじゃなか」

常男はリビングの出口に置かれているヴィトンのバッグを指差して答える。

「そうね、そうだった。忘れていたわ! それから… 」

芳美はくるりと振り返り、部屋の隅のソファへと駆け寄る。

「ペル! マーズ! ママはちょっとだけ、お出かけしてきまちゅからねぇ

 … 加奈子ママの言うことをきいて、おとなちく、していりゅんですよぉ

 ぉ… 」

昼寝を邪魔されて迷惑顔の小さな子猫を代わる代わるに抱き上げて頬擦りし

た芳美は、愛くるしいペットへのお出かけの挨拶を終えると再び夫に声を掛

ける。

「常男さん、準備は終わったの? もう電車の時間まで余り間が無いわよ」

妻の声に促されて、大男がのっそりと和室から出てくるから、加奈子は思わ

ず息を呑む。

(おちつけ! 私が見た事は、姉さんや義兄さんは知らないんだから! 動

 揺したら駄目じゃない)

幾分目を伏せて、義兄と姉のツーショットを見ない様にしながら、加奈子は

己を戒めて小さく呟く。

「僕の方の支度は30分も前に終わっているよ。あとは奥様待ちだって事、

 どうして分かってくれないのかなぁ? 」

苦笑いを浮かべた常男はリビングの出口に歩み寄り軽々と2つの旅行鞄を持

ち上げる。

「それじゃ、加奈子ちゃん。悪いけれど猫の世話を頼むね。それから玄関の

 熱帯魚のエサの方もよろしく」

いきなり義兄に呼び掛けられて、油断していた加奈子は驚き飛び上がる。

「あっ… えっと、ハイ、分かりました」

さすがに今さら他人行儀と感じた芳美は、妹の挙動に初めて不審を抱き加奈

子を見つめる。

「ねえ、加奈子、どこか躯の具合でも悪いの? さっきから変に上の空だけ

 れど… 」

怪訝な顔を見せる姉の目の前で、加奈子は両手を目の前に差し出して違う違

うと振ってみせる。

「いや、あの… そんな事は無いわ。ほら、姉さん、電車の時間が迫ってい

 るんでしょう? 早く行かないと乗り遅れるわよ」

慌てた加奈子は立ち上がり、出かける二人を見送る為に玄関に向って歩き始

める。

「本当に大丈夫なの? ちゃんとペルとマーズに御飯を上げてちょうだいよ

 、それからおトイレの砂も… 」

「分かったから、ほら、本当に電車に乗り遅れちゃうよ、早く早く! 」 

いつもと違う妹の態度を訝りながらも、時間に迫られた芳美は夫と共に旅立

って行った。

玄関のドアだ閉じられた後に、残された加奈子は俯いて、ようやく大きく安

堵の溜息を漏らした。

 

「まったく、人がどんな思いでここに来たかも知らないで… 呑気なものよ

 ね、姉さんは」

出掛けの喧噪が去り、昼寝を楽しむ子猫2匹とマンションのリビングに残さ

れた加奈子は、ようやく緊張がほぐれて深く溜息を漏らしている。

(でも、随分と冷静にふるまえたわよね、うん)

姉からは訝しがられはしたが、どうにか上辺を取り繕う事に成功していた加

奈子は、麦茶の入ったグラスを片手にリビングへと移動する。緊張が急激に

緩和された事から脱力してソファにドスンと腰を降ろした彼女は、姉の愛用

する甘いオードトアレの残り香を感じながら、そっと目を伏せてあの日の事

を思い出す。

忘れもしない3週間程前の出来事だ。少し遅めの夏休みを取った姉夫婦は、

妻の実家である神崎家の風習に従い両親共々、加奈子の祖父等は暮らす千葉

の九十九里海岸近くの田舎に帰郷していた。

今年は芳美の婿に成った常男の初めて同行した事から、祖父や祖母も大いに

喜び周囲に暮らす親戚を集めての毎日歓迎の宴が繰り広げられた。古くから

九十九里の港で暮らす網元である祖父だから、ひっきりなしに祝いに駆け付

ける親戚や近在の漁師達が途切れる事も無く、次女の加奈子は何時にもまし

て忘れ去られていたものだ。

すっかりと主賓扱いでちやほやされる姉夫婦と、振り返られない己との境遇

の差に些かプライドは傷つけられたが、まあ、仲の良い姉の晴れ姿と思えば

、怒りが膨れ上がる様な事も無い。

しかし、この祖父母の家でも、磊落な大男が妙に受けが良いのは、やっぱり

加奈子の気に触る。地元の漁師達と杯を重ねても乱れるどころか増々陽気に

楽しく振る舞う常男の株は、家族や親戚の中で急上昇している。自分の好み

とは大きくかけ離れた義兄が親族にも受けが良いところを見せつけられて、

加奈子の心境は複雑だった。

 

新参者の婿がどんちゃん騒ぎに明け暮れていたある日の事… 

「ねえ、加奈子、お姉ちゃんと常男さんを知らないかしら? さっきから見

 当たらないのよ」

「知らないわよ、そう言えばさっきから見てないわよね」

昼食の後に縁側に陣取り、まだ残暑厳しい日ざしを片手を上げて遮りながら

、母親の問い掛けに加奈子は不機嫌に答えた。義理の息子と成った大男を大

いに気に入り、ふた言目には常男さん常男さんと煩わしい母親だったから彼

女は少し拗ねている。長女と入り婿の姿を求めて歩く母に背を向けて、加奈

子はサンダルを突っ掛けると、縁側から家を後にした。

「まったく、ママったら、常男さんや芳美姉さんの事しか頭に無いみたいに

 騒いで! 煩いったらありゃしないわ! 先に私だけ帰ってやろうかしら

 ! 」

加奈子はひとりでふて腐れて、祖父の家の裏手にある狭い山道を登って行く

。途中の広場で一息吐けば、眼下には小さな港町は一望に出来る。穏やかな

日和に恵まれた事から男衆は勇んで出漁していて、港には小舟ひとつも残さ

れてはいない。間もなく戻るであろう船を待ち、市場で働く女衆も港近くに

集まっているから、小さな街の表通りは人っ子一人見当たらない。

 

 

 

 


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