その2

 

 

 

 

源内は哀れみを込めて逃亡者の2人を見据える。

「事を知った鎧一郎は、弟を本家に呼んで姻戚衆の前で詰問した。当然、零二

 郎はしらばっくれる。そして、己の身を守る為に、暗殺計画は自分の知らぬ

 間に部下が勝手に仕組んだと言い逃れたのじゃ。名指しされた部下のひとり

 が拷問にあい、お前等、暗殺者グループの名前も明るみにでたと言う事なん

 じゃよ」

頼りにしていたボスの無情な裏切りを知らされて、三沢は落胆してその場に膝

を付く。

「それで、本家の親衛隊が俺達を襲ったのか? 俺達は皆、切り捨てられたの

 だな… 畜生め、零二郎の奴! 」

呻く様な三沢の声につられて、若い智徳はがっくりと目を伏せる。数秒間の重

い沈黙の後に、三沢は凶暴な光を放つ目で源内を見つめる。

「それをわざわざ、俺達に知らせに来た、あんたの目論みは何なんだ? まさ

 か、同情だけでは無いはずだ。迂闊に姿を見せれば、親衛隊の連中は俺達を

 放り出して、お尋ね者のアンタの首を取りに掛かるだろうからな」

かつて、出来物の三男の死を受け入れられずに、その亡骸を奪取して禁術であ

る反魂の法に及んだ傀儡使いの老人の考えを読む為に、三沢は源内の睨み目を

見開く。将来を嘱望された若者を蘇らせる術に失敗して亡者と変化させてしま

った源内は、その罪を問われ西の組織から追われている。三男を溺愛していた

当主の逆鱗に触れた老人には、生死に関わらず莫大な懸賞金が組織の内部で掛

けられているのだ。

「如何にも、その通り。あの間抜けな次男の口車に乗って、軽率な事に暗殺計

 画に関わったお前等に同情するほどには、儂は暇じゃない。じゃがのう、追

 い詰められたお前等が面白い所に逃げ込んだから、こうして姿を現してやっ

 たまでの事よ」

源内は邪悪な笑みを浮かべながら、ゆっくりと辺りを見回す。

「何故、ここに逃げ込んだ? 忌諱場のひとつと知っての事じゃろう? 」

老人の台詞に、三沢は頷く。

「ああ、ここが丹波の忌諱場であることは承知している。だからこそ、まさか

 、ここに逃げ込むとは、親衛隊の連中もしばらくは気付くまい」

京を中心とする幾つかの場には、古来から忌み嫌われる物怪を封じた場所が存

在している。この油山と呼ばれる忌諱場は、その中でも最も禁術な場であり、

普段であれば一族の者は誰でも近付く事を憚る場所なのだ。うかつに結界に触

れて場を乱すだけで、へたをすれば命に関わる仕置きが待っている。

「この山の中腹に祭られた祠には、遠い過去の術者達を大いに苦しめた妖狐が

 封じられておる。霊験あらたかな黒妖石に封じる為に、中世において幾多の

 術者が命を落としたとの言い伝えは、お前等も知っているだろう? 」

源内のナゾ掛けの様な台詞に、三沢も智徳も怪訝な顔を浮かべる。

「だからこそ西の衆は、この場の平穏無事を保つ事に、これまで心を砕いてお

 る。お前等の予想通り、この結界付近への探査の手は、もう少しあとに成る

 じゃろうて」

源内は人の悪そうな笑みを浮かべて2人の逃亡者を見る。

「じゃが、もしも、何者かが、この結界を壊し封印を解いたら、どうなるかな

 ? もう、お前等2人の小物の事など、関わり合っていられぬ程に、西の組

 織は動揺するじゃろうな。なにしろ、希代の妖狐が平成の世に放たれるのだ

 から… ククククク… 」

老人の言葉に三沢はようやく彼の目論見を知り合点が行く。

「たしかに、ここの結界を破壊して、噂に聞こえる妖狐を解き放てば、我らを

 捕まえる為の包囲網は寸断されて、上手く行けば東に逃げ延びる事が出来る

 かも知れんな」

三沢の言葉に若者が瞬時に反応する。

「やろうぜ、三沢さん。このまま追っ手に嬲り殺しにされるのは真っ平だよ。

 もう、西の組織にはうんざりだ。騒ぎを起して撹乱すれば、箱根の山を越え

 て逃げ切れるかも知れないだろう? だったら組織に義理立てする事は無い

 さ。俺達は連中に裏切られて切り捨てられたんだぜ」

短絡的な若者の提案に、三沢は苦虫を噛み潰した様な渋い表情で首を横に振る。

「無理だ! お社の場所は分かるが、我ら程度の腕では結界の中に辿り着く事

 が困難だし、仮に首尾良く中に入っても、封印を解く鍵すら分からないだろ

 う? ただ社を壊せば良いと言う代物では無い。結界を破る術が無いんだ! 」

なまじ希望を持たせる源内の言葉が、かえって仇と成り、事実を知らされた智

徳は意気消沈する。すると、老人は懐の中から古びた一枚のお札を取り出した。

「ほれ、これをくれてやる。何だか分かるか? 」

茶色く変色した札を見て三沢の顔色が変わる。

「こっ… これは… 」

震える手で源内から札を受け取った三沢の驚き様に、智徳は怪訝な顔を見せる。

「何なんだい? その汚いお札は? 」

若者の問い掛けに答えたのは源内だった。

「妖狐を封じた結界を解く鍵じゃよ、これがあれば、封印は簡単に外す事が出

 来る」

老人の言葉に、お札を手渡された三沢が頷く。

「これがあれば… しかし、なぜ、あんたは俺達を逃がそうとしてくれるのだ

 ? あんた自身が追っ手を掛けられている身の上なのに? 」

源内の行動を三沢は訝しむ。

「腹いせじゃよ。巌郎丸さまさえ御存命であれば、あの阿呆供に好き勝手には

 させなんだ。儂はただ、あのボンクラ兄弟が慌てる所を見たいだけなのさ。

 彼奴等のどちらかが組織のトップに立つ事が、どれほど危うい事なのか? 

 皆に知らしめてやらんといかんわい」

今は亡き出来物の三男の在りし日の面影を偲び、源内は静かに目を閉じる。

「考えてみれば、あんたの存念なんてどうでも良い話だ。智徳の言う様に、俺

 も組織の連中の身勝手さにはうんざりだよ。このまま黙って逃げ回れば、何

 時かは連中に追い詰められて嬲り殺しだからな。それなら、一泡噴かせてや

 るのも面白いぜ」

三沢は腹を括り凄惨な笑みを浮かべる。

「冥土の土産に封印結界を破り妖狐をこの世に解き放つのも悪くは無いな、そ

 れに上手く行けば混乱に乗じて、このまま箱根の関を越えられるかも知れん

 。首尾よく東に逃げ込めたならば、組織も勝手は出来ないだろう」

三沢は源内から受け取った古ぼけたお札を手にして、若者を振り返る。

「ああ、その通りさ! やろうよ、三沢さん。どの道このままでは、やがて俺

 達は追っ手に殺られる。だったら、生き延びる為には何でもやってみようじ

 ゃないか! 親衛隊の連中だって、その妖狐とやらを見たら肝を潰すだろう

 ぜ」

祖先の苦労を推し量る事も無く、若い智徳は無責任にまくしたてた。このまま

裏切りの末の粛正を従容とは受け入れる気に成れぬ三沢も、半ば自棄気味に頷

く。

 

 

 


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