その8

 

 

 

 

「ところが、そうも行かないのよ。よりによって、その妖魔が西の衆の追撃部

 隊と交戦しながら箱根の警戒線を単独で突破したらしいの。こちらの監視網

 に引っ掛かって連絡が入ったのだけれど、緊急事態を理由にして西からは、

 未だに何の状況説明も無いわ」

剣呑な光を瞳に浮かべた茜は、忌々しそうに西の不始末を吐き捨てる。

「なんだよ、それは? 場合が場合だから、土足で縄張りに入るのはしょうが

 ないとして、連絡の一本くらい入れるのが仁義ってモンだろうぜ。しかも、

 相手が名立たる大物妖魔とあれば、何も知らぬままで奇襲を喰らったら、こ

 っちもヤバイだろうに… 」

茜の心情を察して、徹も腕を組み憤る。もしも、事が西の勢力圏内だけで納ま

っていれば、彼女とて無用な手出しを控えるだろう。しかし、こちらの縄張り

にまで出ばって来るならば話は別だ。庭先で行われる不作法な戦闘を黙って見

逃すわけには行かない。憤激する2人の先輩達の様子を、訓練生の4人は興味

深げに眺めている。

「おい、これから直行って言っても、あの連中はどうするつもりだ? 」

彼等の気配に気付き、徹が指揮官に問い質す。

「ちょうど良い機会じゃない? 初陣の相手が九尾の狐じゃ、かなり荷が重い

 けれど、まあ、後方支援くらいならば役に立ってもらいましょう。だいたい

 『紅』の本隊は、まだ東北での争乱の後始末で釘付けなんだから」

幾つかの不幸な巡り合わせから、配下の2つの部隊のそれぞれに少なからぬ負

傷者を出した対妖怪特殊部隊の『紅』だったから、この忙しい時期にやもうえ

ず彼女等は穴埋めの為の新人のテストを行っていた。

「ちがいない、どのみち何時かは実戦に出る連中だからな。しかし、こう成る

 と、やっぱり手薄なのが辛いな」

茜の思惑に同意した徹は、組織としての『紅』の弱点に溜息を漏らす。2人の

手練と、その他の未熟者達を乗せたヘリは、最初の目的地である横須賀へと急

いでいた。

 

 

 

徹と茜、そして新人4人を乗せた代替えのヘリは箱根の温泉街近くにある中学

校の校庭に砂埃を毎上げながら着陸した。彼等を出迎えたのは国防軍空挺部隊

の指揮官の一佐だが、いつもの様にけして歓迎されている雰囲気では無い。

徹に新人達のお守を任せて、彼女は校舎近くに寄せて停められている作戦仕様

の大型のトラックの荷台コンテナへと乗り込んだ。軍用の通新設備が完備され

たパネルトラックの荷台では、3人のオペレーターがGPSを利用した監視シ

ステムから送られてくる情報をトレースするのに忙しい。

「なにも、わざわざ『紅』の御出馬に及ぶ事も無かったと思うがね、相手は1

 匹なんだろう? 」

進められたパイプ椅子に座る事を断った茜の前で、やれやれとばかりに皮肉な

笑みを浮かべた横瀬一佐は、自分の椅子に腰を降ろす。

「政府のお偉方がビビって、あんた等を呼んだみたいだが、聞く所によれば、

 北海道や東はけんでけっこうな打撃を喰らったそうじゃないか? チームの

 要員の損害も甚大だったとの報告も入っているぜ。だから、ここは俺達空挺

 レンジャーに任せておけよ」

ペンタゴン帰りであるエリートの一佐は、長くアメリカに派遣されていた事か

ら、茜達の組織の事も、彼女らが相手にして来た物怪の事も詳しくは知らない

。ただ傲慢なプライドだけが高く成った、ろくに実戦経験も無い指揮官の傍ら

では、現場の叩き上げの二尉が青ざめた顔で上官と茜を見比べて生唾を呑み込

んでいた。

ある程度は『紅』と共同の作戦に参加した経験を持つ吉本二尉だから、世間知

らずな上官がとんでもない事を口走っているのが良く分かる。また、茜も阿呆

を相手に貴重な時間を浪費する無駄を嫌い、無礼な一佐を無視して吉岡を見つ

める。

「既に芦ノ湖防衛ラインは突破されたのかしら? 」

射竦められる様に厳しい口調の茜の問いかけに、彼は慌てて首を横に振る。

「いっ… いえ、まだ第一次芦ノ湖ラインからは、敵と遭遇したとの連絡はあ

 りません。残念ながら、索敵は全部が空振りに終わっていて、現時点におい

 ては目標の所在は不明であります」

自分の許可も得ずに、勝手に茜に状況報告を行った部下の態度を見て、見る間

に横瀬が不機嫌に成る。

「吉岡! かってに情報を漏らすな、この馬鹿もの! いいか、この防衛網の

 指揮官は、俺なんだぞ! 」

思わぬ上官の叱責に、吉岡は目を丸くする。

「しっ… しかし、一佐。『紅』が国防軍の上位にあり、一時的であれば、そ

 の指揮権をも有する事は、閣議通達の… 」

「煩い! 黙れ! そんな弱腰だから、いつまでも得体の知れない集団に面子

 を踏みにじられ続けるんだ。いいか、事、国防に関する限り、我ら国防軍が

 全権を委任されてしかるべきなのに、政府の愚作が、こんな如何わしい連中

 の増長を許しているのが、お前には分からんのか? 」

アメリカで長年、特殊部隊についての研修を重ねて来た一佐は、部下が増々青

ざめる意味を深く考える事無く、無礼極まりない台詞を吐いている。彼は自信

満々な態度で、今度は茜を睨み付けた。

「政府通達があるから、この場に留まる事は許可するが、お前等は邪魔しない

 で、大人しくしていろ。空挺レンジャーの実力を見せてやる」

勇ましい一佐の台詞に、吉岡は上官の命を本気で心配するが、驚いた事に茜は

にっこりと微笑むと、ひょいと肩を竦めたではないか。

「仕事を肩代わりしてくれると言うなら、ありがたいわね。兵隊さんのお手並

 みを拝見するわ」

『紅』の本当の恐ろしさを何度か目の当たりにしてきた吉岡にとって、たとえ

相手が国防軍の将官クラスであっても、場合によっては平然と殴り倒す胆力の

持ち主である茜が、この無礼な上官の行動を容認した事を大いに驚いていた。

その頃、作戦指揮用のトラックから少し離れた場所で新人連中と屯していた徹

にも、別の災いが近づいている。

 

 

来週に続きます。

 

 

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