その12

 

 

 

 

「ねえ、九尾の狐って、どんな奴なのかしら? 」

箱根山の森の中の獣道を、常人では考えられぬスピードで疾走しながら、新宮

の一族の実戦部隊見習いの美奈子が、先頭を走る雅則に問いかける。

「さてな? どんな化け物かは知らんが、そいつを俺等で退治すれば、もう見

 習いだの何だのって言って、馬鹿にされることは無くなるだろうぜ」

索敵が任務だと厳命されてはいるが、このグループのリーダーを自認する若者

は、膨れ上がった自尊心から、目の前の危機を明らかに軽視している。やがて

彼等は小高い丘の中腹にある狭い広場に辿り着く。見習いの4人が揃った事を

見計らい、雅則は厳しい目で卓也を睨む。

「おい、卓也! お前はここに残って起点と成れ。うすのろなお前が一緒に動

 けば足手まといだからな。他の2人は俺に続け。もしも森の中ではぐれたら

 、ここに戻って来るんだ」

かなり無礼な言葉ではあるが、卓也は文句を言う事もなく頷いた。

「へへへ… お前はここで、ゴロ寝でもしていればいいさ。俺と雅則と、それ

 から美奈子で、狐野郎の首を狩って来てやるからな」

リーダーの雅則におもねるように、洋二も大柄な少年を侮辱する。

「よしなよ、洋二、ほら、雅則はもう、行っちゃったよ! 」

哀れみを込めた目でチラっと残される別格の家柄の若者を見てから、美奈子も

洋二と共にリーダーを追い掛けて、再び森の中に消えて行く。ひとりになった

大柄な若者はのんびりとした顔で左右を見回すと、一本の杉の巨木の根元に歩

み寄り、その場に腰を降ろしてしまう。

「怪我をしなければ良いけれど… 」

あれだけ侮蔑の言葉を並べて行った連中の事を、卓也は心底から心配していた

。仲間を思いやる大男の懸念など無視して、雅則は二人の手下を従えて森の中

を突き進む。ほどなく、彼等の耳に散発的な銃声が飛び込んで来た。

「向こうだぜ、雅則」

「ああ、わかっている、行くぞ! 」

洋二に呼びかけに神経質な素振りで答えた青年は、初めての実戦参加に血を昂

らせながら、ライフルの断続的な発射音を頼りにして、森の奥へと急ぐ。そし

て対妖魔戦部隊『紅』の見習い連中は、ついに初めて最前線へと辿り着く。

「コイツ等は、国防軍のレンジャーとは違うみたいだぜ。紛らわしい迷彩服を

 着ているいけれど、階級章も無いし、ヘルメットも被っていないからな」

銃創を負い辺りでうめき声を漏らす一団を見つけて、洋二はリーダーに囁いた

「おそらく西の組織の追撃部隊って奴だろうぜ。協約を無視して箱根の山のこ

 っちまで出ばっているところを見ると、連中も相当に焦っていやがる」

同じ妖魔を相手に戦う組織であるが、古くからの因縁が拗れている西の連中を

冷ややかに見下しながら雅則は毒付いた。すると再び、今度は近くで静かな森

を騒がせる銃声が響き渡る。

「こっちよ! 行きましょう」

美奈子が身を翻して森の中に飛び込むから、おくれた二人も慌てて彼女の事を

追い掛ける。しかし、進む道すがら、2人、3人と血溜まりの倒れている西の

追撃部隊のメンバーを見かける事に成るから、彼等は最初の余裕など吹き飛ば

されてしまい、懸命に目標に向かって駆けて行く。見習いの3人は、すぐに少

し開けた広場に出くわす。

「おい、あれを見ろよ、雅則。あの気味の悪いなんとか研究所の連中じゃない

 か? 」

これまで撃たれて森の中で転がっていた西の連中とは、迷彩パターンの明らか

に異なる戦闘服に身を包んだ連中が、丸太のように倒れているのを見て、洋二

が上ずった声でリーダーに呼び掛ける。

「西の連中ばっかりで無くて、あの無気味な奴らもブッ倒されちゃっているな

 んて… ヤバイよ、雅則。早く徹さん等に連絡して、撤収しよう。ねっ…

 ねったら、ねっ」

国防軍のレンジャーの壊滅には動じなかった美奈子であるが、同業者である西

の連中に加えて、あの仮の作戦本部で潜んでいた事を見抜く事ができなかった

峰南技研のプロトタイプ戦闘員までもが無惨に返り撃ちと成っている状況を見

て、改めて敵に回した希代の妖狐の実力を思い知らされている。

「ねえ、下がろうよ。ヤバイいよ、ねえ、雅則ったら、ねえ… 」

「うるさい! だまれ、美奈子。ガタつくなよ、まだ狐野郎を捕捉しちゃいな

 いだろうが! 」

口では強がって見るが、さすがに雅則も声に緊張が感じられる。3人の見習い

連中はキョロキョロとしきりに周囲を見回していた。

「なあ、雅則… 」

「なんだ? 洋二。お前まで弱音を吐く気か? 少し黙っていられないのかよ

 ? 」

美奈子に続いて、もうひとりの仲間までも心細い声を発したから、雅則は苛つ

いて厳しい口調で咎める。

「ちがうんだよ、なあ… ひとり足りなくないか? 」

「足りないって、何の事だ? 」

洋二の言葉の意味を図りかねて、リーダー格の青年が苛立ちを募らせる。

「やっぱり足りないよ。ほら峰南技研の実験部隊の連中は、たしか7人編成だ

 ったよな? でも、ここでブッ倒されているのは6人じゃないか」

台詞に怯えが隠った洋二の指摘を受けて、美奈子も雅則も慌ててこの場に倒れ

ている連中を数えなおす。

「ほんとうだ、6人しかいないわ。残りの一人は何処に行ったのかしら? 」

初めての実戦に興奮している見習いの三人は、彼等を冷ややかに見下ろしてい

る目がある事に、まだ気付いてはいなかった。

 

 

(畜生め、新手か? こんなところで殺られてたまるかよ。俺は… 俺だけは

 、なんとしても生き延びてやるぜ)

目の眩む様に高額な報酬と引き換えに怪し気な実験の標本と成り、ほかの傭兵

の連中に比べても数倍の身体能力を手に入れていた男は、杉の木の枝の上から

慌てる見習いの三人をじっと見下ろしている。

この森に投入された理由は化け物退治と言う事であったが、元々連係はあまり

取れていなかった不正規部隊の事でもあり、すぐにバラバラに成っている。や

がて男は驚くほどに多くの怪物連中と遭遇して、ことごとくそれらの物怪を撃

破制圧して来た。相手は中々に手強い連中が揃っていて、男の高い身体能力を

以てしても、楽に制することは難しく、迷彩服にそこかしこに跳ね飛んだ幾多

の返り血が、戦闘の苛烈さを物語っている。

ようやくに、辺り一帯を掃討し終えたと安堵した矢先に、またもや3匹の怪物

が忽然と現れたのだ。九尾の狐の幻術に誑かされた男には、雅則等も恐るべき

物怪に見えている。

 

 

 

 

 


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