森の中では『紅』の見習い三人と、峰南技研の傭兵の最後のひとりが苛烈な戦闘 を繰り広げていた。 「ちぃ… ちよこまかと、鬱陶しい奴等め! 」 男は忌々し気に呟くと、根元から折れてしまい使い物に成らなくなったサバイバ ル・ナイフを投げ捨てる。まんまと狐のあやかしの術中にはまった実験体は、必 殺の奇襲攻撃を躱されたことから、多少の焦りを隠せない。 しかし、それは彼と相対する三人の見習い連中も同じことだ。新宮の里で厳しい 訓練をうけていた外戚衆の中でも、選りすぐりの手練である自分らが、三人掛り で攻めても仕留めるどころか、ほぼ互角にしか戦えない事で、見習い達は急速に 自信を失いつつあった。なにしろ、護身の為にナイフだけでは無く拳銃まで持た されてはいるのだが、相手が妖魔ではなく、外見上は明らかに人間である事が見 習い連中に火器の使用を躊躇わせている。 「いいかげんにしろ! こんなところで追っ手同士でやりあっている時かよ! 俺達は狐を追い掛けているんだろうが」 希代の化け物である九尾の狐の追跡を命じられながら、こんな森の奥でわけのわ からぬ戦闘に巻き込まれてしまった洋二は、焦れきった挙げ句に迂闊にも安易に 峰南技研の強化傭兵を怒鳴り付けてしまった。 「うるさい! 人の言葉を使って、俺様を誑かそうとしてもダメだ! お前の正 体は分かっているんだからな、この化け物が」 恐怖に駆られた傭兵は、人の反射スピードを遥かに凌駕するダッシュを見せたか ら、三対一の数的優位に頼っていた洋二は不意打ちを喰らってしまう。 「うわぁ… くそ、この野郎! ぐぇ… 」 最初の右のフックのフェイントに引っ掛かった外戚衆の若者の横っ腹に、強化さ れた傭兵の回し蹴りがクリーンにヒットしたから、小柄な若者は吹き飛ばされて 大木の幹にしたたかに叩き付けられた。 「洋二! 」 仲間が呆気無く制圧された事で、雅則は動転する。倒れ込んだ洋二に、とどめを 刺すべくにじり寄る強化傭兵に向かって、彼は拳銃を構えて立ちはだかる。 「餓鬼が… お前に俺様が撃てるのか? ははははは… 笑わせてくれるぜ」 「なめるな! この糞っ垂れ! 」 倒れた仲間を助ける為に雅則は躊躇なく引き金を絞る。だが、実戦慣れしていな い悲しさか? この期に及んでも、まだ若者は狙いを急所から外していた。9ミ リ・パラベラム弾が綺麗に左の肩を貫通したのをモノともせずに、強化傭兵は再 び素晴らしいダッシュを見せて雅則に飛びかかる。なまじ拳銃などを持っていた ばかりに己の優位を信じて、ほんの僅かながら反応が遅れてしまった雅則の顎に 、傭兵のアッパーがクリーンヒットする。 「ぐぅ… 」 果敢に仲間を助けようと試みたリーダーであったが、これまでに出会った事の無 い強敵の前に経験不足を曝け出し、彼もまた意識を失い地面に叩き付けられてし まった。 「うっ… 動かないで! 撃つわよ」 最後の残された美奈子は脚の震えを懸命に堪えながら、左の肩から血を流す強化 傭兵に向かって必死に拳銃を構えてポイントする。男は彼女の方を振り返ると、 侮蔑の笑みを浮かべた。 「撃てるのか? なあ、この俺様を撃ち殺せるのか? お前等化け物に、この俺 が、はは… 面白いじゃないか? ははははは… 殺せるのかよ? 」 強烈な狐の術に誑かされた強化傭兵には、もう見境などは無い。彼には美奈子も また、化け物にしか思えなく成っている。姿形は女の子であっても、刷り込まれ た邪念が美奈子をとんでもない化け物のイメージに摺り替えている。 「一発でしとめなければ、お前をズタズタに引き裂いてやるからな。どうした、 震えているじゃないか? この化け物め… ははははは… さあ、撃てよ、撃 ってみせろ」 確かに傭兵の言う通り、美奈子は銃を持つ手は震えている。里で厳しい訓練を重 ねて来たと言っても、命のやりとりをする実戦は今日が初めてであり、しかも、 仲間の2人が無惨に叩きのめされてしまった最悪の状況を迎えた事から、彼女は 大いに動転している。 「どうした? 撃てないのか? この化け物め」 狐の妖術に操られていながらも、見習いの三人よりは遥かに多くの実戦経験を持 つ強化傭兵は、本能的に美奈子の怯えを察して、この場の勝利を確信している。 あとは、最後の一匹を処理して、こいつ等の装備を奪い、化け物だらけの森を脱 出するまでだ。そう考えた傭兵の目論みは、残念ながら果たされる事は無かった 。
「それぐらいに、しておいてやってくれ。なにしろ三人とも、まだ新米なんだよ」 仲間の二人が倒されたことから、てっきり、強化傭兵との一騎討ちを強いられて いると思っていた美奈子は、何処からとも無く現れた徹を見て、安堵の余りその 場にへたり込みそうに成った。 「それにしても、なって無いな… 確かに並みの連中に比べれば多少は強化され ているが、この程度の奴ならば、落ち着いて三人で掛かれば倒せん事もないだ ろうに」 先に叩きのめされてしまった二人の新米を眺めつつ、徹は難しい顔で愚痴ってい る。まったく緊張感の無い先輩の態度に、美奈子も、そして強化傭兵の方も面喰 らい、束の間奇妙な静寂が訪れた。 「あらあら、この連中は、あなたが訓練教官を務めて来たのでしょう? 少しは 責任を感じて欲しいものね」 徹に続いて茜までもが姿を見せたことから、いよいよ美奈子は膝から力が抜けて 、思わずその場に尻餅を付いてしまった。 「面目ない、こうも脆いとは思わなかったさ。まあ、里に帰ったらキッチリと説 教してやるよ」 まるで強化傭兵の存在を無視して、見習い三人の今の戦闘に関する評価を語り合 う二人を、美奈子は目を丸くして見つめるばかりだ。しかも、彼等三人の見習い に対しては、あれほどに傲慢な態度を見せていた傭兵が、こんどは顔色を変えて 、この寸劇を大人しく眺めているのも、彼女には不思議で成らない。 しかし、それにはわけがある。幾多の戦場で死線をくぐり抜けて来た戦争の犬は 、瞬時に新手の二人が見習い連中と比べて桁外れの戦闘能力を持っている事を察 していて、迂闊に動けなく成っている。狐に誑かされていても経験により培われ た危険を嗅ぎ付ける本能が、彼を慎重にさせていた。 「畜生! 殺っても殺っても、次々と出て来やがって! この化け物が! 」 手強い新手の登場に憤激した強化傭兵の台詞に、茜が右の眉をピクリと吊り上げ る。
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