「どうしたのよ? まっ昼間から公園でひとりでボンヤリとしちゃって? 」 「ええ、まあ、その… 色々と思う所があって… 」 満足気に紫煙を揺らす美女の問いかけに、信雄は曖昧な返答をする。 「やっぱり、どうかしているよ、高根くん。ねえ、今日はこれから何か予定 があるの? 」 「いいえ、別に特別な予定はありませんが… 」 彼の答えを聞いて、いきなり美弥子は青年の腕を捕まえる。 「それならば、焼肉を奢ってあげるわよ。お腹が減っていると、人間はろく な事を考えないもの。大丈夫よ、今日は朝から調子が良くて、パチンコで 大儲けしたんだから。さあ、行きましょう」 趣味のパチンコで大勝利をおさめたと嘯く美女は、遠慮する若者を引き摺る 様にして商店街に向かった。
「ふ〜〜ん、頭が良い人には、色々と難しい悩みがあるモンなんだねぇ… 私なんか、焼肉を食べてお腹いっぱいにして、ついでにビールを飲めば、 もうすっかりと安らかに朝まで熟睡しちゃうけれど… 」 焼き網の上に骨付きカルビを並べて広げながら、美弥子は呆れた様に言い放 つ。彼女の巧みな話術に乗せられて、つい不眠症の事をしゃべってしまった 若者は、羨まし気にビールで咽を潤す美女を見つめている。 「駄目なんですよねぇ… お酒を飲んでもドキドキするだけで、ちっとも眠 く成らないし… 困ったものです」 彼の自信の無さげな言葉に耳を傾けつつ、美弥子は旺盛な食欲を見せる。彼 女に触発されて、久々に信雄も美味しいと思える食事を楽しんだ。大人二人 では手に余るのでは無いかと若者を心配させた肉の量であったのに、美弥子 は焼き上がるのを待つのも惜しんで次々と口に放り込んでいる。その合間に 頼む生ビールも、ジョッキで2杯目が空に成りつつある。これだけの美女に 、素晴らしい食べっぷりを披露されると、元気の無かった若者も、ついつら れて、いつもよりも多くの肉を口に運んでいた。 「難しい試験なんでしょうね。私は勉強が嫌いだから、試験と聞いただけで うんざりとするけれど、そんな試験を受ける為に2年も頑張っているんだ から、やっぱり高根は偉い! うんうん、えらいぞ、タカネ… 」 自分で言うほどにはアルコールに強くないのか? ビール2杯で気分が良く 成った美弥子は、敬称をとっぱらい若者を褒めちぎる。 「いや、そんな事は無いですよ。実際に2度も試験に失敗しているし… 今 年だって、どう成るか分からないですから」 考えてみれば、慰められることはあっても、人から聡明さを誉められたのは 久しぶりだから、カルビを頬張りながら信雄は一時的に心の中のモヤモヤが 晴れた気分を味わった。 「大丈夫よ、タカネ、今年は絶対に… あっ、お姉さん、生ビールをもう一 つお願い、それから上カルビも… あれ? えっと、なにを話していたん だっけ? 」 彼を励ましている最中に通りかかった店員を呼び止めた美女は、さらにビー ルと肉を追加して旺盛な食欲を見せつける。 「あっ、そうそう、だいじょうぶよ、だって、アンタは、うちの馬鹿娘を◯ ×学園に入学させてくれたくらいだもの。朋子がまさか、あの学校に受か るなんて担任の先生も吃驚していたわ。合格の通知を見せた時の、あの嫌 味はセンコーの顔ったら、いま思い出しても痛快よ! 」 「朋子ちゃんは馬鹿じゃ無いですよ。ただ、少しだけ勉強に対する要領が悪 かっただけです。高校に進んでからは、なんの問題も無いですよ」 自分が数年前に家庭教師の真似事を行った教え子だから、信雄は彼女の娘を 擁護する。 「でしょう? まあ、アタシの娘だから、たかが知れてはいるけれど、馬鹿 って事は無いわよね。それなのに、あの子の中学時代の担任と来たら、進 路指導の時に朋子は絶対に◯×学園は無理だから、諦めろってホザいたの よ。それも酷い言い種で馬鹿にしたの。だいたい先生なんて言う奴らは、 どいつもこいつも… 」 あまり教職員に対して良い印象を持っていない美弥子は、それからひとくさ り娘の担任や、自分の学生時代の教師の悪口を並べ立てる。自分の両親が田 舎で教鞭を取っている信雄は、いささか居心地の悪い雰囲気を味わっている 。 「ねえ、ゼンゼン駄目なの、お酒? ほら、ちょっと飲んで見せなさいよ」 新しく来た生ビールを上手そうに一口煽ってから、彼女は根暗な浪人生にジ ョッキを差し出す。 「いえ、飲めないんじゃ無くて、飲んでも眠くならないというか… 」 別にアルコールが嫌いなわけでは無くて、ただ司法試験浪人と言う立場から 酒を控えているだけの信雄は、進められるままにビールで咽を潤した。 「なんだ、イケるんじゃない。それならば… あっ、お姉さん! お姉さん 、こっちよ、生ビール、もう一杯ちょうだい」 飲みかけのジョッキを青年に押し付けて、美弥子は新しいビールを注文して しまう。結局彼等らはその後で何杯か生ビールをお代りしてから、満腹で焼 肉屋を後にする。たかがビールであるが、それでも久しぶりにアルコールを 摂取した事から、信雄の足元は多少ふらついている。また、彼の数倍はビー ルを飲んだ美女も、よい調子で青年にもたれ掛かり、ようやく夕闇の迫って 来た商店街を歩いて行く。 「いいこと、試験なんて、気合い一発なんだからね。ぐずぐずと悩んだとこ ろでしょうがないでしょう? タカネはアタマは良いんだから、難しく考 えないの! 」 呂律が些か怪しい美女の励ましにも、信雄は歯切れが悪い。 「でも、今年しくじったらと思うと、やっぱり不安なんですよねぇ… 分か っていても、また風邪をひいてしまうんじゃないか、とか、面接であがっ てしまうんじゃないかと思うと、ドキドキするんです」 久しぶりに少し酔った若者は、包み隠さずに内心の不安を吐露する。焼肉を 奢ってくれた美女を抱える様に、信雄はアパートを目指して歩いて行く。路 地を折れて商店街から外れた二人は、大通りに辿り着き交差点で信号が変わ るのを待つ。 「まったく、じれったいわね。なんでそんなに自信が無いのよ? たかが試 験じゃないの。失敗しても命まで取られる事は無いでしょうに? しっか りしなさいよ! タカネ! だらしないぞ」 「そんな事を言っても、ドキドキする事はドキドキしちゃうんですよ。そり ゃあ、自分でも情けないとは思いますけれど、もう2度も失敗しているし 、このまま次をしくじったらと想像すると、やっぱり夜に寝れなく成りま す」 軽い酔いも手伝って、信雄も日頃にくらべると口が軽くなっている。
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