その3

 

 

 

 

「そう… ようは自信が無いのね。試験にビビルのは度胸が足りないからよ。

 うん、それならば… 」

彼女は支えてくれていた青年の腕を振り解くと、まだ赤信号の交差点に一歩足

を踏み出した。

「タクシー、ほら、止まって… タクシー 」

いきなりタクシーを呼び止める為に両手を差し上げた美女の行動に、信雄は面

喰らう。

「どっ… どうしたんですか? 遠藤さん、なんでタクシーなんて呼ぶんです

 ? 家には帰らないのですか? 」

大通りを渡れば、目指すアパートはすぐだったから驚きの声を上げる若者の前

で、タイミングよくタクシーが横付けされた。

「ほら、乗って、タカネ、はやく、乗るの」

「えっ、僕も乗るですか? いったい、何処に? 」

逡巡する若者の背中を押して、美弥子はタクシーに乗り込んだ。彼女が口にし

た行き先は、JRの駅の近くの繁華街だ。なぜ、そんな場所に足を延ばすのか

分からないままに、信雄は年上の美女に連れられて行く。

「あっ、運転手さん。ここで良いわ」

駅前のロータリーに続く路地裏で、美弥子はタクシーを停めさせた。支払いを

済ませた彼女に次いで車を降りた若者の目に、ラブホテルの派手なネオンの光

りが飛び込んで来る。

おどろいて辺を見回すと、あまり上品とは言えない看板やネオンが立ち並んで

いる。どれも原色を多様した派手なラブホテルの宣伝だ。真面目な大学生活を

過ごして来たと言っても、それなりの学生時代には女性との付き合いもあった

信雄だから、歓楽街の一角にあるこの場に足を踏み入れるのは始めてでは無か

った。しかし、なぜ美弥子が自分をこんな所に連れて来たのかわからない若者

は、足を止めて辺を見回し呆然と成る。

「なにをきょろきょろいているのよ、恥ずかしいわね。さあ、どこにする? 」

「どっ… どこって? まさか、入るつもりですか? 」

右も左もラブホテルばかりだから、信雄は顔色を変えて美女に問いかける。

「うん、そうよ。だいたいタカネは真面目すぎるのよ、たまには羽目を外さな

 きゃ駄目!試験なんかでビビらないの。度胸を付けるには女を抱くのが一番

 よ。それじゃ、特別に希望が無いなら、ここにしましょう」

一番近いラブホテルに、彼女は半ば無理矢理に若者を引っ張り込む。

「あの、美弥子さん、酔っぱらっているんですか? 」

「あれくらいのビールで酔う美弥子さまじゃ無いわよ。えっと、ふ〜ん、流石

 にこの時間だと、部屋はほとんど空いているいのね。それじゃ、ここにしま

 しょう」

自分で部屋を選んだ美女は有無も言わさずに信雄を連れて廊下を進む。意外す

ぎる展開の困惑しながら、彼はついに欲情の館の一室へと辿り着く。

「それじゃ、先にシャワーを浴びるから、逃げ出さないで待っているのよ」

振り返りバスルームへ通じるであろうドアを開けた美弥子の腕を、ようやく若

者は捕まえた。

「いったい、何のつもりなんですか? 美弥子さん? 」

「だから、度胸付けよ、試験にビビらない度胸付け。ほら、タカネには娘の事

 で散々世話に成りっぱなしでしょう? いつか借りを返そうと思っていたか

 ら、ちょうど良いチャンスと言うワケ。わかったら、大人しく待っているの

 よ」

おそらく以前に彼女の娘の朋子の勉強の面倒をみた時に、差し出された寸志を

固辞した事を言っているのであろう。しかし、そんな下心はまったく無かった

若者の腕を振り解き、美弥子はバスルームに消えて行く。残された信雄は、ま

だ急転直下の展開に付いて行けずに、案外にさっぱりとした内装の部屋で呆然

と立ち竦んでいる。

確かに年齢は自分よりも10才以上は年上であるが、それでも高校生の娘に比

べても姉妹にしか思えない美弥子は十二分に魅力的な女性である。朋子に勉強

を教える為に彼女の部屋を訪れた際には、ラフな格好の美弥子を見て欲情を覚

えた事もあった。仕事柄、よく日に焼けた小麦色の肌は健康的な色香に溢れて

いるし、特にキュっとひきしまった足首やふくらはぎに、信雄は何度も目を釘

付けにされている。

(俺って案外、脚フェチなのかな? )

目の前を無造作に行き来していた美弥子の脚に何度も目を奪われていた事から

、信雄は自覚の無かった性癖に思い当たり、ひとり頬を赤く染めたものだ。そ

の美弥子が、こうして強引に彼の事をラブホテルに連れ込んだのだから、若者

は、まだ自分が愛欲の館の一室に居る事に現実感が伴わない。夢かと疑って我

ながら陳腐と思いつつ頬を抓ってみると、持ち主の愚かさを嘲笑う様にほっぺ

たがとても痛い。焼き肉屋で久々に飲んだビールの酔いなど、とうに吹っ飛ぶ

事態に直面して、彼は浴室から微かに漏れてくるシャワーの水音にドキドキが

抑え切れない。

「ほい、おまたせ、さあ、タカネくんも、ひとっ風呂浴びておいでよ」

あろうことか、それともあたりまえなのか? 大ぶりのバスタオルを躯に巻き

付けただけで、美弥子がバスルームから戻って来たので、目のやり場に困った

彼は慌てて美女に促されるままに浴室へと飛び込んだ。

(本気なのかな? でも、どうして、いきなり、こんな展開に成るんだろう? )

素直に頭を洗いながら、若者は年上の美女の存念がわからず、ブツブツと壁に

向かって独り言を繰り返した。風呂から戻ると、美弥子はラブホテルに備え置

きのバスローブを羽織り、ソファに陣取って缶ビールで咽を潤している。

「飲みたかったら、冷蔵庫の中に、まだあるわよ。ビール」

「あっ… はい、それなら、僕もいただきます」

少しでもアルコールが入っていなければ、とてもこの場の奇妙な緊張に耐えら

れぬ思った信雄は、彼女に習って冷えた缶ビールを取り出した。プルトップを

開いて、命の源の麦酒を一気に半分程飲み干してから、ようやく彼はこの淫ら

な雰囲気の漂う状況を、再び落ち着いて考えてみる。だが、新しい情報が無い

事から、どんなに真剣に物思いに耽ってみても、思考は堂々巡りを繰り返して

信雄の望んだ答えは見つからない。

「さて、それじゃ、時間ももったいないから、そろそろ犯ろうか? 」

自分のビールを飲み干すと、美弥子はさも当然とばかりに羽織っていたバスロ

ーブを脱ぎ捨てる。もう高校生に成る娘がいるとは、とうてい思えない大人の

女の美しい肢体みて、信雄は思わず生唾を呑み込んだ。

「あんまり見ないでよ、もうオバサンだって事は自分でもわかっているんだか

 らさ」

「いっ… いえ、そんなこと無いです。すごく綺麗ですよ、遠藤さん」

日頃部屋に閉じ篭りがちで、生っちょろく白い自分の貧相な躯に比べて、男社

会で揉まれながらダンプカーを転がしている美弥子の健康的に日焼けした肢体

の美しさに、信雄は心を強く揺さぶられた。

 

 

 

 

 


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