ようやく彼女の請求の意味が分かった良輝は不様に慌てながらジーパンの尻のポケ ットから財布を取り出して、1000円札をカウンターの上に置く。
「はい、1000円のお預かりだから、おつりは400円」 百円玉を4枚手渡される間、良輝は生きた心地がしていない。幸いな事に町の小さ なビデオ屋であり中途半端なこの時間には他の客の姿は無い。もしも、ほかに客が いたならば、貸し出しカウンターの前で青ざめた顔に脂汗を滴らせる若者の姿に違 和感を覚えていた事であろう。もっとも知られたくない相手に恥ずかしい嗜好を気 取られてしまった若者は、足元が音を立ててガラガラと崩れて奈落の底に転がり落 ちる錯覚に陥っている。
「まいど〜 アリガトさん」 たっぷりと皮肉が混じった純子の挨拶を合図にして、彼はいたたまれなさから逃げ 出す為に受け取ったビデオ屋の袋を小脇に抱えて顔を真っ赤にしながら振り返る。
「あっ… そうだ、サカモト! 」 背中に浴びせられた呼び掛けに、まるで袈裟切りされたかの様にビクッと震えて立 ち止まった良輝は、情けない顔をして恐る恐る彼女に向き直る。
「あのさあ、私、ノドが乾いちゃったの。そとの自動販売機で何か奢ってくれない? 」
日頃なにかと反目し合う相手の尻尾をふん捕まえた美女は、ニヤリを不敵な笑みを 浮かべている。 (馬鹿やろう! なんで、俺がお前なんかに奢らなきゃ成らんのだ! 味噌汁で顔 を洗って出直しやがれ! ) 心の中で瞬時に浮かんだ罵声を呑み込み、彼は懸命にもまったく違う台詞を口にする。 「えっと… 何が飲みたい? 」 「そうね、ミルクティーがいいわ。もちろんホットでよろしく」 従順な下僕と化した若者に向かって、純子は勝ち誇ったままで最初の命令を下した。
(畜生め! 神も仏もあったもんじゃ無いぞ! よりによって純子が… あの純子 が、なんであのビデオ屋でバイトなんか始めるんだ! ) 己の迂闊さを棚に上げて、良輝は今日も朝から同じ事を繰り返し嘆き悲しんでいる 。もしも、彼に疚しい事が無く、俯いたままでビデオ屋のカウンターに至る事が無 ければ、宿敵と言っても過言ではない美女に不様な所を見られる事は無かったはず だ。
(いや、たとえあの場で露見しなくても、あのビデオ屋でバイトを始めれば、いつ かは俺がSMモノばかりを借りている事は露見していたよなぁ… ) 住所氏名年齢だけでは無く通う大学名まで入会手続きの書類に記載していたのだか ら、事の露見は時間の問題であっただろう。しかし、書類上で知るのと、実際に物 を借りている現場を押さえられるのでは精神的なダメージの深さは段違いだ。カウ ンターの向こうに佇む美女の冷ややかな視線と皮肉な笑みには、彼は何度も悪夢に うなされて夜のベットで飛び起きている。
(失敗したぁぁぁ… ああ、なんたる偶然、なんで、あの女が… くぅぅぅ… よ りによって俺の地元のレンタルビデオ屋に、こんな馬鹿な事があっていいのか? 運命の神様の馬鹿やろう! トホホ… ) 心の底から悔恨にくれる若者は、この夜から悶々とした日々を過ごす事に成る。
今日も、こうして授業が始まる30分も前に講座の教室にやって来たのも、純子の 命令に従っての事だ。彼女に実験準備の当番が回って来た事から、実際の力仕事は 呼び出された良輝が全部受け持つ羽目に陥っている。教壇の椅子に腰掛けた美しい 女王様の命令の元でせっせと実験の準備を整えながら、彼は己の迂闊さを何度も嘆 き悲しんでいた。
「ほら、それが終わったら、今度はスライドの投影機材の用意もおねがいね。あと は… なにか無かったかしら? 」 しっかりと友人の秘密を握った美女は、いっさい己の手を汚す事なく当番の仕事を 行っていた。男の腕力をすれば大した作業では無いのだが、あの純子に命令されて いると思うと、彼は内心で忸怩たる思いを噛み締めている。
「ほらほら、そんな苦虫を噛み潰した様な顔をしないで… つまらない作業ほど楽 しくやらなきゃね。ほらスマイル、スマイル」 誰のせいでこんなに憂鬱に成っているのか? と、問い質したいところをグッと堪 えて、良輝は引き攣った笑みを浮かべて見せる。 (ちくしょ〜〜〜〜う! いったい、なんで俺がこんな理不尽な目に合うんだよ? ) 情けなくて頬が引き攣る若者の態度が面白いのか? 純子はあの皮肉な笑みを浮か べながら、二人の他には誰もいない教室で彼を顎でこき使う。良輝が学生課から借 り出したスライド投影器を所定に位置にセットすると、ようやく彼女は動き出す。 重い器材を運んで来たことから一汗かいた若者を押し除けて、彼女はスライド機材 に取り付いた。
(うっ… 純子の奴、意外に良いケツしてやがる) 彼の目の前で器材に屈み込んだ美女を何の気無しに眺めていた良輝は、揺れる純子 のジーパンの尻を見せつけられて、思わず生唾を呑み込んだ。レンタルビデオ屋の 失策以来、彼は自宅の部屋でのAV鑑賞を控えている。と、言うよりも、純子との 悪夢の出会いを思い出してしまい、とてもリフレッシュには至らないのだ。だが、 若い雄の性は現金なもので、こうして他には誰もいない教室で、若い女と二人っき りで過ごしているうちに、相手がたとえ憎らしい純子であったとしても、彼は牝の 存在を強く意識し始めている。図らずも数日間に渡る禁欲により欲求不満がこうじ ていた良輝は、身近で作業に没頭する純子から仄かに香るシャンプーの匂いに惑わ されている。
「どこ見ているのよ? 」 目の前で微妙にうねる尻に気を取られていた若者は、不意打ちの様な美女の声に、 ふと我に返る。視線を上に持って行くと、振り返った純子が皮肉な笑みを浮かべて 睨んでいるではないか。 「あっ、いや、その、何処って、別に… あっ、そうだ、何か手伝う事は無いかな ? って、そう思っていただけだよ」 ここで純子の機嫌を損ねるのはマズいから、慌てた彼は懸命に言い繕う。 「ふ〜〜〜ん、そうなの、まあ、そう言う事にしておきましょう。でも、それなら ば、ほら、手伝ってよ」 若者の言い訳などハナから信用する気持ちなど無いとばかりに純子はせせら笑う。 今どきプロジェクターでも無い旧式なスライドを準備させられた事から、彼等はセ ッティングに苦労する。上手く焦点が合わないので何度もセットをし直す事を強い られて、良輝は行きがかり上、純子の間近で作業に取り組む事に成る。すると、先 程仄かに漂っていた彼女のジャンプーの香りを、こんどは胸一杯に吸い込む事にも 成ったので、困った事に彼の下腹部は男として当然の反応を示して来る。
(なんたる情けなさだ… いくらマスかきをサボっていると言っても、純子ごとき に欲情するとは! ええい、鎮まれ、俺の一物よ)
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