その4

 

 

 

 

どうしようも無い股間の反応に狼狽しながら、彼はチラっと真横で旧式なプロジェ

クターをセットする純子を盗み見る。とても生意気な上に嫌味な女ではあるが、こ

うして黙っていれば、おそらく極上の美女の部類に入るであろう。東北の方の出身

だと、何かの会話の端で聞き齧った事はあるが、抜ける様な白い肌を見れば、その

話は十分に頷ける。

 

一部の学生等からは『工学部のマドンナ』とも、もてはやされているが、親しく話

をする様に成ると、明晰な頭脳から繰り出される辛辣な皮肉や揶揄に曝されて、た

いていの男は尻尾を捲いて逃げ出して行く。何しろ軽薄な学生が迂闊にちょっかい

を出してくると、馬鹿者の人間性まで踏みにじる様な厳しい誹りを受ける羽目に陥

るのだ。しかも彼女が口にするのは大抵の場合は正論であり、言い争いであれば純

子を負かす者は少なくともこの大学には見当たらない。

 

良輝にしてみても、自信のある内燃機関の考察については彼女と討論も可能だが、

それ以外の項目では、まったく相手にされてはいない。自惚れた色男らが何人も無

謀にアタックした挙げ句に屍を累々と曝した事実を知る良輝だから、そんな純子に

欲情する己が信じられない。増して、彼は目の前の美女に恥ずかしい秘密まで握ら

れているのだ。

(まったく、どうかしているぜ! オレは… )

ひとつ小さく頭を振ってから、良輝はスライドの準備に集中した。

 

彼等の尽力もあり、旧式なスライドを使った授業は滞り無く進められた。昼休みを

挟み次の講議でも使われる予定のスライド器材だから、面倒な片付け作業からは幸

いな事に解放されている。授業の最中にもスライドの操作の補助を務めた良輝の事

を、なんで当番でも無いお前が? と、訝る友人に曖昧な笑みを浮かべて誤魔化し

た若者は、授業を終えた助教授が教室を去ると、ざわめきの中で立ち上がり大きく

背筋を反らせて延びをする。そんな彼の傍らでは、同じようにスライド作業の補助

を行っていた純子が、テキストやノートの類いを自分のバックにしまっていた。

「ねえ、純子、お昼にしましょうよ」

顔見知りの女の学生が純子をランチに誘うが、彼女は微笑みながら首を横に振る。

「今日は彼に奢ってもらう事に成っているから、また今度ね」

意外な彼女の言葉に、脇に立った良輝は驚き目を剥いた。そんな二人の事を怪訝そ

うに見比べてから彼女の友人は首を傾げて去って行く。なにしろ、事有るごとに良

輝と純子は授業の中では対立している様に見えていたから、まさか二人が親し気に

昼食を取るとは誰も想像もしていない事だ。

 

「おい、奢るって、なんの話だよ? 俺はそんな事を言った憶えはないぞ」

呼び掛けた友人が遠くに去るまで待ってから、良輝は不機嫌そうな声で問い質す。

「固い事を言いなさんな。あの子等は贅沢だから、学食じゃ無くて外の小洒落たお

 店でお昼を取るの。貧乏学生としては毎度々は付き合っていられないのよ」

ノート類をバックにしまいながら、純子は困った様に苦笑する。

「だからって、俺を巻き込む事は無いだろう? 」

「あらららら… そんな事を言ってもいいのかなぁ? 私はお腹が減ると口がとっ

 ても軽く成ったりするのよ。あの子等に付き合って、余計な事をベラベラと喋っ

 ちゃったら、誰かさんが困るかもね? どう、サカモト? 」

上目使いでチラリと若者を見ながら、純子は微笑みを絶やさない。

「あっ… なんだか、俺、急にとっても誰かに昼メシを奢りたく成って来た様な気

 がする」

多少青ざめた若者の台詞に、純子はもっともだと頷いた。

「でしょう? うんうん… そうじゃなきゃ嘘よね。贅沢は言わないわ、学食のA

 ランチで十分よ。さあ、そうと決まれば行きましょう。急がないと食券の売り場

 が混むわ」

脅迫者のささやかな要望に応えるべく、二人はキャンパスの片隅にある古びた学生

会館へと足を運ぶ。

 

「あれ? 部屋の壁のペンキを塗りなおしたんだな? 」

首尾よく空いた席を確保して、Aランチのトレーを並べて置いてから良輝まモノ珍

しそうに学生食堂の中を見回す。

「なに言っているのよ? もう二ヶ月も前に改装工事が入ったでしょう? まさか

 、それ以前からココを使っていなかったの? 」

呆れる純子の隣に彼は頷きながら腰を降ろす。彼女の裕福な友人等と同様に、良輝

もあまり学食には良いイメージが無い。確かに外で食べるのに比べれば格安でボリ

ュームを確保出来るが、分量優先の料理の味は些かいただけなかった。それに大学

の規模に比べて食堂の面積が狭いし食券の自動販売機の数も少なく、セルフカウン

ターで料理を受け取る時にも長い行列を覚悟する必要がある学食は財布に余裕があ

る学生からは、どうしても敬遠されがちだ。

 

目の前に並ぶ揚げ物主体のAランチを見ても、贅沢に慣れた良輝は余り食欲はそそ

られない。もちろん、ここに辿り着く以前に純子に対して学校の外のファミレスで

の昼食を提案したのだが、『もったいな! 』の一言で却下されている。

(俺の奢りなんだから、もったいないもヘチマも無いだろうに? )

多少の不満は残るが反論を許されぬ立場にある若者は、隣の美女の旺盛な食欲につ

られて、ランチを胃袋に納めて行った。限られた座席を求めてトレーをもったまま

彷徨う難民学生の為に、昼飯時には食べ終わったらさっさと席を空けるエチケット

に従い、二人は空いた食器を返却カウンターに戻してから学食を後にする。ほんと

うならば学生会館を出たところで右と左に別れてもよさそうなものであるが、行き

がかり上、彼は純子と並んでキャンパスを歩いて行く。

 

「なあ、どこか茶店に行かないか? それか、学生会館のラウンジでもいいけれど

 。コーヒーでも奢るよ」

食事の後の珈琲を楽しみにしている良輝の誘いは、あっさりと退けられた。

「もったいないよ、喫茶店のコーヒーなんて。こんなに天気が良いのだから、わざ

 わざお店に入る事も無いでしょう? どうせ奢ってくれるのならば自動販売機で

 ジュースでも買って芝生で飲みましょうよ」

ねっから節約癖が染み付いているのか? 純子は率先して自販機に歩み寄り彼から

小銭を受け取って二人分のジュースを買い求める。こう成ると、それじゃ、これで

… とも言いにくいので、良輝は彼女に従いグラウンド脇に整備された芝生席へと

辿り着く。

さっさと純子が苅り揃えられた芝の上に腰を降ろしてしまうから、ボンヤリと突っ

立っているのも変だと思い良輝も後に続く。朝夕の冷え込みは厳しいが、日中の陽

光の下ならば、まだかろうじて心地よい季節な事もあり、二人の他にもあちらこち

らにチラホラとカップルやグループが日光浴を楽しんでいる様だ。

「でも男って馬鹿よねぇ… 」

唐突な純子の呼び掛けに若者は答える術が無く、たが振り向くのみだ。

 

 

 


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