その5

 

 

 

 

「だって、あんなあHなビデオを見て、ハアハアしているんでしょう? よりによ

 ってSMモノなんて… あんな風にされて悦ぶ女がいると思う? 縛られて犯さ

 て、ヒイヒイと泣く女がいるって信じているんだね、サカモトは? 」

前置きも無い単刀直入な美女の問いかけに、良輝は耳たぶまで真っ赤に成った。

「べっ… 別に信じているワケじゃ、ないさ。うん」

「でも、興奮するんでしょう? 看護婦さんや若奥さんを縛ったり、裸にして虐め

 たりする所を見るとさぁ… 」

身も蓋も無い追求を喰らい、良輝は返す言葉に窮している。

「だから、信じているワケじゃなくて… そう、そうだ、ファンタジーさ。俺にと

 ってSMビデオを見るのは、ファンタジーを楽しんでいるんだ」

まさか、生意気な目の前の美女を妄想で汚す手がかりに使っているとは口が裂けて

も言えない若者は、その場凌ぎの言い訳に苦慮する。

 

「ふ〜ん、ファンダジーね? それじゃ、現実とは懸け離れた物語りって事くらい

 は分かっているのかな? サカモトは」

「ああ、分かっているよ。戦艦大和は空を飛ばないし、鉄腕アトムは正義を守って

 もいない。銀河帝国でダースベーダーも暗黒面に落ちてもいない。それは全部理

 解している。なにもかも絵空事でありファンタジーだよ。でも別に夢を見る事く

 らいは良いだろう? だれかに迷惑をかけているワケじゃ無い。そりゃあ、あん

 な夢物語を現実に置き換えたら大きな問題だけれども、俺はあんなに都合の良い

 事が実際に存在するとは思っていないさ」

なんとかこの場を凌ぎたい若者は、己の恥ずかしい性癖を誤魔化す為に余計に熱弁

をふるっている。

 

「あら? でも、世の中にはSMの愛好家なんて人もけっこういるんじゃないの? 」

「ああ、確かにね。でも、少なくとも俺の身の回りには、そんな都合のより女はい

 ないよ。だからMっ気の強い女性っての存在なんて、エロ雑誌の中の文字でしか

 知らないからね。まあ、世の中に、そんな魅力的な女がいたとしても、俺と知り

 合う確率は限り無くゼロに近いだろう。だから、小説やアダルトビデオの企画モ

 ノで眺める他には楽しみは無いと思っている」

少なくとも声の届くであろう範囲内には他のカップルやグループが見当たらない事

から、良輝は秘密の厳守を彼女に迫って行く。

 

「法律的には成人男性がアダルトビデオを見るのは問題は無いけれども、SMビデ

 オを見る趣味が社会的には認められていないのは良く分かっている。だから現実

 とファンタジーを混同しているのではないか? と、疑われる事もあるだろう。

 正直に言ってエロビデオ愛好者であることを皆に知られると面目は丸潰れだよ。

 だから、俺が熱心にSMモノを借り漁っている事は内密にしてくれ! 頼む、こ

 の通り! 」

同性であれば苦笑と共に容認されるであろうが、ただでさえ数の少ない工学部の女

子大生の皆に冷たい目で見られる針の筵の様な大学生活に恐怖して、良輝は懸命に

頭を下げた。

 

「そうねぇ… 今日のAランチのおかげで、一週間くらいは黙っていられるかも知

 れないわね」

冷やかす様な笑みを浮かべた美女の言葉に良輝は面持ちを引き締める。

「なあ、千草さん、あんた、個人情報保護法案って知っているかい? アルバイト

 と言っても職務の上で知り得た個人の情報は勝手に公開したら駄目なんだ。法律

 の遵守は国民の義務だろう? 」

「ふ〜〜〜〜ん、そんな事言っちゃっても、いいのかなぁ? いいのかなぁ? いい

 のかなったら、いいのかな? 」

悪巧みの光りを魅惑的な瞳に浮かべた美女と数秒間睨み合った良輝は、がっくりと項

垂れて再び両手を合わせて彼女を拝む。

 

「いいません、そんな事は言わないから、どうか黙っていてちょうだい! 」

「そうね、この話は、またそのうちにゆっくりとしましょう。今日はお昼御飯とジュ

 ースをごちそうさまでした。クスクス… 」

ハッキリとした下知を残す事なく立ち上がった美女は、そのままスタスタと歩き去っ

てしまった。残された良輝は彼女の後ろ姿が見えなく成ってから、芝生の上に大の字

に倒れ込んだ。

(くぅぅぅ… 坂本良輝、一生の不覚、神も仏もあったもんじゃ無いぜ、天は我を見

 放した! )

暗澹たる未来を予感して嘆く若者であるが、もしもこの時点で運命の女神様が不信心

な良輝の嘆きを耳にしていたならば、せっかく恵みを施してやった不信心者の思い違

いに大いに憤慨したことであろう。

 

 

 

「ふぅ… 」

机の上にボールペンを転がして、良輝は深く湿った溜め息を漏らす。来週の頭には提

出の期限を迎えるレポートは、まだ半分も出来てはいない。しかし、楽しかったハズ

のキャンパスライフが一転して低く暗雲の垂れ込める憂鬱の日々に変わってしまった

若者は、どうにも勉強が手に付かなくて困っている。最近では毎日、最初の講議を受

ける為に教室に至る度に彼は周囲の女子学生の様子をそれとなく窺いながら、教室の

一番後ろの席に陣取る様に成っている。

 

顔見知りの女子大生の反応が昨日までと変わらぬと分かると、事が露見していないの

を確信して、密かに心の中で安堵の溜め息を漏らしていた。もしも、運悪く純子と同

じ講議を受ける時には、それこそ針の筵に座る気分を90分間、たっぷりと味わう事

に成るのだ。実はSM・DVD作品の愛好家でありレンタルショップでその手のDV

Dを借り捲っている事が露見すれば、これまで培って来た硬派で爽やかなイメージが

微塵に砕け飛ぶ事に成ると良輝はドキドキしている。

 

実際がところ、明らかに彼の自意識過剰であり、周囲の特に女子の学生は彼に対して

差程は関心を持ってはいない。いわば若者のひとりよがりな懊悩なのだが、それでも

何かの折に純子を目が合いニッコリと皮肉な笑みを浮かべられると、もう良輝は生き

た心地がしなかった。だから、こうしてアパートの自室に戻っていても、心休まる時

は無い。事の露見の切っ掛けとなったSMビデオは、彼女がビデオショップのバイト

のシフトに入っていない時を見計らい、中身を楽しむ事なく返却している。精神的に

萎えてしまった若者は、あの不幸な遭遇以来、鬱々とした日々を過ごしていた。

 

「しょうがない… コーヒーでも飲んで、それからレポートをやっつけるか」

彼は勉強机から離れると台所に向かう。インスタントのコーヒーをいれる為にヤカン

をガス台に乗せた時に携帯の着メロが軽やかに鳴り響く。

「ん? 誰だ、これ? 知らない番号だけれど? 」

どうせ悪友からのマージャンの誘いだろうとタカを括っていた良輝は、携帯の耳に当

てる。

 

 

 


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