お酒って、恐い! その1

 

 

 

「あいたたたたたぁ… 」

遮光カーテンの隙間から差し込む日の光りの眩しさで無理矢理に目を覚ます事を

強いられた咲和子は、最近ではもはや慣れ親しみ人生のちょっとしたスパイスと

して受け止める様に成った一過性に頭痛のせいで端正な美顔を曇らせた。

 

人は色々な理由で酒を呑む。仕事のストレスの解消を求めて、家庭の不和の忘却

、孤独からの逃避、等、酩酊が齎す一時の癒しを求めて、彼女もまた琥珀色の魔

法の飲み物をこよなく愛する慢性的な酔っらいに成っていた。あと三ヶ月と少々

で30の大台に乗る大人の女としては昨今の酒の呑み方は如何なものかとの忸怩

たる思いもあるが、イバラの道とまでは言わないまでも、それなりに波瀾の多い

人生を過ごして来た美女は、ついついウイスキーグラスの底に愚痴を零す悲しい

癖が付いていた。

 

「いたたぁ、もうお酒、やめる。絶対に止める」

二日酔いの朝を迎える度に何度と無く繰り返す無益な呪文を今日も呟きながら、

彼女は少しでも不愉快な頭痛を和らげようと、指先に力を入れてこめかみを揉み

ほぐす。

 

「あれ? 」

最初に咲和子が違和感を持ったのは、彼女の裸身を包む茶色の毛布の存在だった

。酔っぱらって帰宅した時には、たいがい洋服も下着も脱ぎ散らかし、そのまま

ベッドに直行するのが常なので別に裸で目覚めても、それは何の問題もない。し

かし、離婚した時に、これだけは手放せないと持ち帰ったオーストリア製の羽毛

布団では無く、おそらく安物の化繊の毛布に包まれていた事は、長年愛用した家

具や食器よりも肌触りが抜群に良い羽毛布団に執着した咲和子にとっては酷く不

本意なのだ。

 

「こんな毛布、いつ買ったっけ? 」

寝起き直後な上に二日酔いで鈍った思考は、なかなか何時もの様に鋭い回転を見

せてはくれない。手触りも余り良くない使い古された毛布を摘みながら、彼女は

何の気なしに辺をも回す。朝を迎えても抜け切れないアルコースの影響で、輪郭

がぼやけていた周囲の状況が明らかに成ってくると、彼女の顔からサーっと血の

気が引いた。

 

天井の蛍光灯のカバーは長方形で、咲和子が毎朝目覚めると最初に目にする自室

の丸型のカバーとは似ても似つかぬ形状だ。ベッドサイドの安物のカラーボック

スの上に鎮座しているのは小型のビデオ一体型のブラウン管タイプのテレビで、

離婚を機会に旧式なテレビは処分して、色々と悩んだ末に購入したハズの最新型

の薄型液晶テレビは、そこには影も形も見当たらない。

 

壁紙の色、それにちゃんと閉じられていないものだから、中央部分の隙間から日

の光の進入を許してしまっている遮光カーテンの色も、明らかに自分のマンショ

ンのベッドルームとは異なる事を認識した彼女は、ひとつ大きく息を吐き出すと

ゆっくりと目を閉じた。

 

(やっちまった… )

目がさめたら何処かわからない部屋に居た経験は、今回が初めてと言うわけでは

無かった。嫁姑問題に加えて、母親と嫁が織り成す家庭内での緊張状態に耐えか

ねた夫が、魂の安息を求めて外に愛人を作った事が致命傷と成り、3年で結婚生

活を切り上げた直後に咲和子は、ほんの一時期、自暴自棄に成り酒量も激増した。

 

気力を振り絞り昼間の仕事をこなした咲和子は、その反動で夜の繁華街に繰り出

し酔い潰れる寸前にナンパされた見ず知らずの男とラブホテルに沈没して、何度

か一晩限りの逢瀬に溺れた苦い記憶があった。聡明な彼女の事だから離婚のショ

ックから立ち直れば、そんな自堕落な生活とも縁を切り、今日まで仕事に精力を

注ぎ込み、それなりに充実した生活を手にしている。しかし、こうして未知の場

所で目覚めを迎えてみると、今と成ってはもう若さ故の過ちでは済まぬ状況に陥

った事に落ち込んだ。

 

(えっと、犯ったんだよねぇ… 昨日の夜には)

過去十数時間の記憶が完全に吹っ飛んでしまっている美女は、おそるおそる毛布

の中で手を自分の下半身へと差し伸べる。けして人並み外れて濃いわけでも無い

が近頃は手入れも些か疎かだった恥毛は、男と女の営みの際に溢れ出る粘液が時

間を経て乾いて固まり、最近多少脂肪が気に成る下腹部にベットリと張り付いて

いた。パリパリになった淫毛を無視して秘所に指を這わせた途端… 

「あん… 」

昨夜の行為がよほど官能的であったのか、軽く触れただけで背筋に甘美な衝撃が

走ったので、咲和子は思わず艶っぽい声を漏らしてしまった。

 

(やっぱりなぁ… 犯っているよ)

もっとも指で昨夜の性行為の後をまさぐり確認する間でも無く、仕事のせいで溜

まりに溜ったストレスや、女盛りを迎えて悶々と持て余していた欲求不満が綺麗

さっぱりに解消されている事からも咲和子は自分が昨夜おそらく恥知らずな行為

に及んだ事を確信していた。トロ火で炙られる様な持って行き場の無い牝の鬱積

が見る影も無く四散しているのを悟った美女は、どう言う経路で自分がここに到

り二日酔いではあるものの、欲求不満からは解放されたのかを考えた。

 

(えっと… 昨日はたしか、そうそう、A社との契約を無事に成立させて、お互

 いに本契約書にサインをして先方と取り交わしたんだわよね)

中堅商社の営業部の営業2課で課長職を務める咲和子は、4ヶ月余りの営業活動

の末に競争相手を首尾よく蹴落として本懐を遂げていた。苦労を重ねてようやく

本契約までに持ち込んだ咲和子の機嫌が悪いハズも無く、退社後に良く頑張って

くれた営業2課のメンバーを引き連れて、駅前の居酒屋でささやかな契約成立記

念慰労会を開いたのだ。

(えっと、最初は呑み放題1時間コースを頼んで、30分延長して… それから

 は???)

二日酔いの頭痛が徐々におさまって来るのに合わせて、曖昧模糊と成っていた記

憶も徐々に戻って来る。

 

(そうそう、その後、カラオケボックス組と、スナックにハシゴする組にわかれ

 て、もちろん私はスナックに行ったんだよねぇ… )

最後の最後まで懸命に踏ん張り、乏しい交際費をやりくりして、やっと確保した

大口の契約だった事から、咲和子を始めとして営業2課のメンバーのテンション

も異様に高く、カラオケ組を放り出した後にスナックに辿り着いた頃の記憶は断

片的な上に曖昧だ。

 

(えっと、たしか今岡クンと瀬島クン、それから陽子ちゃんに美咲ちゃん、あと

 … 加藤もいたよねぇ?)

この不景気の御時世に今季の上半期のノルマを余裕でクリアするほどの大口の契

約を成立させた直後の夜だから、繁華街に繰り出したメンバーも遠慮なく大いに

呑んで騒いでいた。

 

(え〜と、スナックの後は何処に行ったんだっけかなぁ? あれ? 美咲ちゃん

達とゲーバーに繰り込んだっけ? いや、違うよねぇ、あれは先月の飲み会の時

のことだ、う〜ん、思い出せないなぁ)

今、一番考えなければ成らないやっかいな問題は、彼女のとなりで小さな寝息を

立てて横たわる謎の男の存在なのだが、不都合な現実と向き合うのを1分でも1

秒でも後にしたい咲和子は懸命に昨晩の乱痴気騒ぎの記憶を辿る。

 

 

 


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