「なあ、フミ、本当にマジなのか? 」 「うん、嘘じゃないよ」 授業を終えて学校を一緒に出ると、まず二人はいつも寄り道する喫茶店に足を向けた 。馴染みの店でココアを飲みながらの相談を終えて以降、卓也は落ち着きを失い同じ 問い掛けを何度も繰り返している。下校途中の道でも、電車に乗っても、そして最寄 りの駅で降りて改札を出てからも、年の割に大柄な少年は、今では親友と呼べる付き 合いとなった優等生に不安げな問い掛けを繰り返す。話は下校途中に立ち寄った喫茶 店から始まっていた。
「ねえ、和田くん」 ウエイトレスのお姉さんが注文したココアを置いて店の奥に戻って行ってから、良文 は声を落として友人に呼び掛けた。 「あん? なんだよフミ? そんな小さな声じゃ聞こえないぜ。大丈夫だよ、寄り道 は確かに校則違反だけれども、こんな遠くの喫茶店に生活指導の先生の巡回なんて 無いさ」 店に備え付けのスポーツ新聞の裏面のエッチな記事を読みながら、卓也が面度臭そう に嘯いた。 「そうじゃ無くて、出来れば他の人達には聞かれたくない話なんだよ」 相変わらず小声で呼び掛ける友人の、いつもとは異なる口調に興味を持ったのか? 卓也は読みかけのスポーツ新聞をたたむと、空いている隣の席の長椅子の上に放り出 した。
「なんだよ、コソコソ話っていうのは? 」 「ちょっと聞くけれど、君って童貞だよね? 」 いきなり赤裸々な質問を受けて、不良を気取る大柄の少年は赤面した。 「馬鹿! いきなりなんだよ? 」 やや慌てて、いっそう声を顰めた不良少年は唐突な友人の言葉に反発する。 「その童貞を何時まで守って行くつもりなの? 高校受験までかい? それとも大学 に行ってからゆっくりと捨てるつもりかな? 」 真面目な顔をしてとんでもない事を口走る友人の顔を、卓也は驚きながらしげしげと 見つめる。 「なんで、そんな事を聞くんだよ? だいたい、お前だって彼女はいないのだから童 貞だろうが? 中学生が童貞で、なにが悪い!」 不貞腐れて反論する不良少年を前にして、良文は学校の教室では見せない余裕と侮蔑 を込めた笑みを浮かべた。その優越感に溢れる態度が、不良少年を自認する卓也を不 安を増長させる。
「表向きは彼女がいないからって、童貞だって決めつけるのは良く無いね」 「そっ… それじゃ、お前は違うって言うつもりなのか? えっ、どうなんだ? 」 目の前に座りココアのカップを捧げ持つ優等生の親友が、まさかとっくにチェリーボ ーイを卒業済みとは思わぬ卓也は、あくまで余裕の態度を崩さぬ良文を見て疑心暗鬼 に陥った。 「うん、僕には確かに恋人はいないけれども、愛人ならいるんだよ」 「あっ、愛人って、お前… 」 まだ後にいるとばかり思っていた親友が急に駆け足で抜き去り、自分の知らない大人 の世界に飛翔した事を予感して卓也の瞳が不安の色に染まる。
「だから、童貞どころか、その人と週に2〜3回は会って、セックスを楽しんでいる のさ」 相手が良文で無ければ馬鹿な作り話だろ笑い飛ばすところだが、真面目な友の言葉が 説得力に溢れているから、卓也は自分が親友がいきなり遠い存在に感じられて大いに 落ち込んだ。 「マジかよ? マジで童貞卒業しているって言うのかよ? 」 「うん、本当だよ」 嘘、あるいは冗談冗談さ、と言う返事を期待していた不良生徒は、良文の駄目押しの 一言で完全に打ちのめされた。勉強に関しては歯が立つどころか、その影さえ踏む事 も出来ぬ優等生の良文だが、女と男の間の事でも圧倒的に差を付けられた事を聞かさ れて、卓也の不良としてのプライドはズタズタだ。
青少年向けの卑猥な雑誌から情報を掻き集めて、一刻も早くチェリーボーイからの卒 業を目指していた不良中学生は、一足先に大人の世界に足を踏み入れたばかりか、中 学生の分際で愛人まで手に入れたと嘯く親友を、まるで眩しいものを見るように目を 細めて見つめるばかりだ。 「すげえな、お前、驚いたよ」 「でもね、僕が愛人を持てたのも、元はと言えば卓也くんと、それから君の弟の健二 くんのおかげなのさ」 意外なところで出来の悪い弟の名前を聞いて、卓也は驚き目を剥いた。
「健二や俺のおかげって? どう言うことなんだ? 話が見えんぞ」 「僕が以前に健二くんを脅かした事は知っているよね。あの時に健二くんが虐めてい たのが、僕の住んでいるマンションの隣の部屋の子だった事は、前にも話したけれ ども… 」 そこで良文は焦らすように言葉を切り、ようやく飲み頃の温度になったココアで咽を 潤した。 「虐められていた一樹くんのお母さんから、僕は助けてくれって頼まれたんだ。とっ ても若くて綺麗なお母さんで、梅本真弓子さんて名前なんだけれども… そのお母 さんは、僕が健二くんを脅かして、問題解決をした御褒美に童貞を卒業させてくれ たんだよ」
余りにも意外な告白を聞いて、卓也は溜息を漏らす。 「マジかよ、いいなぁ… 」 「だから、僕が真弓子さんの愛人になる切っ掛けは、まちがいなく和田くんの兄弟の おかげってわけ。真弓子さん、本当にひとり息子の一樹くんのいじめについて悩ん でいて、相談を受けた僕が問題を解決したから、とっても美味しい思いをしている んだよ」 とんでもない事実を聞かされて、卓也はまじまじと目の前の優等生の顔を見つめる。 「お前を疑うわけじゃ無いけれども、その話が本当ならば、マジ、羨ましいぜ」
自分の弟がしでかした下らぬ苛めを切っ掛けにして、目の眩む様な幸運を手にした親 友を羨みながら、卓也は項垂れて大きく溜息を漏らしている。その対面では、何故わ ざわざ、こんな大事な秘密を彼に明かすのか? その話の裏を読もうともせずに落ち 込む純朴な不良少年を呆れた目で見る良文の姿があった。 (もっとも、自分も何とか仲間に入りたいなんて言い出す様な男ならば、こんな誘い はしないけれどね) 親友の幸運を羨ましがるばかりの不良少年の単純さが、なまじ頭の回転の良いがばか りに己の小賢しさを自覚する良文にはとても好ましく思えた。
|