その2

 

 

 

「センセー、もうちょっとゆっくり行きましょ〜〜! 日の入りまでは十分に時間が

 ありますから、そんなのブッ飛ばさなくても… ぎゃぁぁぁぁ! 」

助手席に座る天文部部長の3年生の石崎明広がダッシュボードに両手を付いて悲鳴を

上げた。

「なに、つまらない事を言っているのさ、峠よ、ワインディングよ、これが燃えずに

 いられますか! 」

 

ハンドルを握る牧子の異様に高いテンションに気圧されて、後部座席の美和子は声を

掛ける事を躊躇っていた。

「そんなこと言っても、これ、学校所有のワンボックスなんですよ。けして峠道を攻

 めるような車じゃありません! 第一、うぐぅ… 」

簡易鋪装の荒れた路面のせいで後部の車輪が小さな穴に落ちてバウンドしたことから

、臨時顧問を引き受けた女教師の無謀運転を非難していた石崎は舌を噛み悶絶する。

 

「つまらんこと、くっちゃべっているから舌を噛むのよ。だまって牧子さまのドラ・

 テクを堪能しなさい。こう見えても大学生時代には、当時の彼氏のインプを借りて

 、峠をガンガン攻めていたんだから」

「それって、明らかに道路交通法違反ですよね! 」

舌を噛み苦悶する石崎部長に代わり後部座席の2年生の高橋尚也が、不埒な女教師の

過去の悪行を追求した。

 

「あっヤバイ! でも、時効! そう、時効よ! 認めなく無いものね、自分自身の

 若さ故の過ちと言うモノは… 」

「あなたはシャア・アズナブル少佐ですか? 」

聞き間違えた美和子はフランスの詩人がどう関係あるのか理解に苦しむが、良く分か

らない人名を例えにだして無謀運転の女教師を突っ込んだのは、最後部の座席に陣取

る2年生の瀬戸卓二だった。ほかに1年生の大原知彦と青柳信雄も乗ってはいるが、

牧子の荒々しい運転のせいで車酔いした二人は青い顔をして黙って俯くばかりだ。三

半規管が鈍感なのか? 乗り物酔いとは一切無縁の美和子は、正規の顧問の友田とは

大きく異なる牧子の運転を面白がって眺めていた。

 

 

 

「ほ〜ら到着、ちゃんと着いた。これでも何か文句あるの? 」

夏草が枯れかかった山頂の広場にワンボックスを停めた牧子は、胸を張って到着を告

げると車から降りた。鬱蒼とした森の一角が切り開かれて、ポツンと小さなプレハブ

小屋が3つ並んでいるのは何とも侘びしい光景だが、一応最低限の天文観測の道具が

揃っている学園専用の山頂天文台は、県下の他の学校の天文部の垂涎の的であり、夏

休みには借用の申し込みが絶えなかった。

 

「は〜、着いた、よかった〜」

「みんな〜大丈夫かぁ?」

「青柳上等兵! 青柳上等兵は何処? 」

「もうガンダムなんかに乗ってやるもんか〜」

ワンボックス・カーのスライドドアが開かれると、車酔いとは無縁の美和子の後から、

錯乱した学生達がワラワラと溢れだして、大地に尻餅を付いたり蹲ったりして過酷な

道行きからの解放を心から喜んでいた。

 

「へ〜、初めて来たけれど、こう成っているんだ」

ヘロヘロな生徒達を置き去りにして、興味津々の牧子がプレハブ小屋に歩み寄って行

く。

「向かって一番左が観測棟、そこに望遠鏡を含めた観測機材が設えられていて、旧式

 ですがコンピューターも置いてあるんですよ。それから、真ん中の棟は食堂兼、研

 究室兼、ミーティングルームで、一般家庭の台所程度の設備は整っていますし、十

 二帖程度の畳の広間ですから生徒達の仮眠室にも成っています」

 

アクティブな美人体育教師の後に続いて、美和子は小規模天文台の設備の説明を行う。

「そして、一番右の建物が一応、教師専用の部屋なんです。4帖半の個室が2つと1

 0帖の広間があって、どれも畳なのですが何時もは私や友田先生が私物を置いてお

 いたり、仮眠に使っているんです」

「そんじゃ、こんやのあたし達の根城は、この右側の建物ってワケね、ミワちゃん」

彼女が鍵を開けると、物珍しそうに牧子がプレハブ小屋の中に足を踏み入れた。

 

「へ〜、以外と普通ね、なんか、もっと貧相でうす汚いごみごみとした部屋を予想し

 ていたけれども、これならアタシが顧問を務めている女子バスケ部の合宿も出来そ

 う」

「でも、牧子先生、どこでバスケットの練習を為さるんですか? 」

猫の額ほどしかない山頂の広場を窓越しに見てから、美和子が素朴な疑問を口にした。

「あっ、そうか… う〜ん、さすがにこんな狭い室内でバスケするわけにも行かない

 ものねぇ… 」

肝心な部分をすっぽかして新たな合宿地発見を喜んだ牧子が落胆で肩を落とす中、美

和子は姑くの間、締めきりになっていた室内の空気の澱みを解消するためにプレハブ

小屋の窓を開けて行く。

 

「あれ、あいつら、なにやっているの? 」

やれやれと靴を脱ぎ一番右側のプレハブ小屋の和室で寛ぎ、持参したペットボトルの

お茶で咽を潤しながら、牧子は窓の外を見て疑問を口にした。

「えっ、ああ、あの子たちは、今夜の夕御飯の準備をしてくれているんですよ」

ワンボックス・カーの荷物室から大きな発泡スチロールの保冷ケースを幾つか持ち出

して、プレハブ小屋の中央棟に運び込んでいるのは、ようやく車酔いから立ち直った

青柳と大原であり、他の生徒の姿は見当たらない。

 

「料理の方はほとんど石崎くんが受け持ってくれています。彼は実家が料亭で、子供

 の頃から料理に興味を持っていたらしくて、天文観測の時には美味しいお鍋を用意

 してくれるんです」

「な〜んだ、知らないからコンビニで夕食用に弁当を買ってきちゃった。そうなんだ

 、あの石崎がねぇ… 人は見かけによらないなぁ」

放っておいてもテキパキと動く天文部員を眺めながら、牧子は手持ち無沙汰な様子で

外を眺めていた。

 

「あれ? あいつらは? 」

二年生の瀬戸と一年生の青柳が連れ立って小屋の脇を通り抜け、森の中に通じる獣道

の方に歩いて行く。なんでも珍しがる美貌の体育教師の言葉を受けて美和子は窓の外

を見た。

「ああ、あの二人は、この山に自生しているキノコを取に出かけるんです。この山の

 自然は豊かで、街の八百屋さんで買うよりも、よっぽど美味しいキノコがいっぱい

 自生しているんですよ。石崎君のお鍋料理には、自生のキノコが欠かせないんです」

後輩教師の説明に牧子は驚いた。

 

「大丈夫なの? 毒キノコに当らないかな? 」

「ええ、そこは長年に渡りこの山を根城にして来た天文部ですから、先輩達から代々

 受け継がれて来たマニュアルがあって、毒の危険性があるキノコは写真付きで注意

 されているんです。今もああやって二年生の瀬戸君が一年生の青柳君を連れて出掛

 けて、安全なキノコ採取のレクチャーをするんですよ」

美和子の説明を聞いて、美人体育教師は瞳を輝かせた。

「ミワちゃん、ここはお願いね。私はあの連中と一緒にキノコを取ってくるわ」

引率兼運転手のピンチヒッターな牧子だから、観測所に付いてしまえばやる事は無い

ので、美和子は快く先輩の女体育教師を送りだした。

 

 

 

 


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