「おまたせ、もうこっちを向いても大丈夫よ、あっ… 」 振り向くと長椅子から立ち上がろうとした真弓が脚を縺れさせてフラつくから、信也 は駆け寄り彼女の事を抱きかかえた。 「ありがとう、さあ、もう行きましょう。長居は無用よ。」 「えっ… でも」 不安そうに校長の亡骸を振り返った少年の耳もとに、真弓は唇を寄せる。 「私達が今の校長にしてあげられる事は、もう何も無いわ。それに、こんな所を他の 誰かに見られたら、お互いに不味いんじゃないかしら? ねえ、沢崎君? 」
「でも、裸のままで放り出すのは、やっぱりどうかと思いますよ」 全裸姿で床に転がる校長を気の毒に思った少年の頬を、真弓が軽く抓る。 「いてぇ… 」 「馬鹿ね、なまじ死体に服を着せようとしたら、それこそ変な工作と疑われるでしょ う?明日、匿名で御家族に、『実はお宅の御主人が、学校の校長室で倒れています よ』って、教えてあげれば、改めて家族が遺体を発見する事になるわ」 理路整然とした真弓の推論に少年は納得して頷く。
「そう成れば、これにスキャンダルの臭いを嗅ぎ取った名門一族がどう考えるか? おそらく懇意にしている医者を呼び出して、たぶん自宅で心臓発作を起こして倒れ たって偽装すると思うのよ。ほら、校長の親族は地元の名士って奴でしょ? それ がスッ裸で真夜中の学校で何をしていたのか? なんて、真相がバレたら大騒ぎだ わ」 「なるほど、だから校長の御家族や親族が偽装工作を行なうと予想されるのですね? 」 物わかりの良い少年の言葉に、真弓は頷き微笑んだ。
「なによりも体面を気にする名門一族ならば、こんな場所で全裸で倒れていたなんて 、口が裂けても言えないわよ。それに、多分死因は心臓発作で間違いないと思うし 、この地方きっての名門の面目に掛けても、司法解剖は阻止すると思うわ」 真弓の憶測は間違ってはいまい、納得した信也は小さく溜息を漏らした。 「そう言うことならば、かえって現場を荒らす様な真似は控えて、この場から逃げ出 すのが最高の選択、と言う事に成りますね」 「そうね、それが正解! さあ、逃げましょう」
後の事を考えて、敢えて部屋の明かりを灯したまま校長室を抜け出した二人は、真夜 中の校舎の廊下を静かに歩き出す。だが、ほんの2〜3歩、足を踏み出したところで 真弓がよろけたので、慌てて信也が駆け寄り彼女をしっかりと捉まえた。
「ごめんね、長く縛られた後で、あんなに無茶しちゃったから脚が萎えて上手く歩け ないの。だから、もうしばらくは付き合ってもらうわよ」 彼女の言葉で縄での拘束を解いた後の熱狂的な性行為を思い出して、信也は俯き頬を 赤く染めた。憧れの女教師を支えながら学校を出た少年は、彼女の指示に従って大通 りへと足を向ける。真夜中ではあるが、傍から見れば酔っぱらった彼女を支えながら 家路を急ぐカップルにしか見えないから、もう警察官のパトロールに怯える必要は無 い。既に時刻は明け方近くになっていたが、幸いすぐに流しのタクシーを捕まえる事 が出来た。
「あの… 僕は」 「いいから、一緒に乗って、ほら、早く! 」 彼女に後ろから強引に押されて信也はタクシーの後部座席に転がり込む。すかさず後 から乗り込んで来た真弓が目的地を告げると、初老のタクシーの運転手は黙って頷き アクセルを踏み込んだ。
走り去るタクシーの後部ランプが遠ざかるのを信也は女教師を抱えたまま見送った。 学校から20分ほど走った住宅地の一角でタクシーを停めさせた真弓は現金で支払い を済ませると、彼の手を借りて車を降りていた。 (まいったな、ここ、何処だろうか? ) 顔を左右に振って、まったく馴染みの無い街並を眺めた信也は、どうやって自分の家 に戻れば良いのか途方に暮れた。
「道の向こうのマンション、3階よ」 学校を離れた事で緊張が解けたのか、タクシーの後部座席ではヘッドレストに頭を委 ねて無言でぐったりしていた真弓が、目の前の瀟洒なマンションを指差した。ふらつ く女教師の腰を抱えてエントランスに脚を踏み込んだ信也は辺を見回し、奥に2基並 んだエレベーターに歩み寄る。
「307号室、廊下の突き当たりの部屋」 3階でエレベーターを降りると、真弓は少年にもたれ掛かったまま、彼の耳もとで呟 いた。 「はい、わかりました」 言われた通りに部屋の前まで女教師を抱えて連れて行くと、そこでようやく真弓は少 年から躯を離して、バッグからキーホルダーを取り出した。
「開けて… 」 「えっ、あっ、はい」 手渡されたホルダーに入っている鍵を使って、信也は鉄製のドアを開く。 「あの、僕はここで… 」 「いいから、入って! 」 無事に彼女を送り届けた事で、すっかりお役御免だと思っていた信也は、憧れの女教 師の手を引かれて彼女の部屋に上がり込む。
(うわ、真夜中にセンセイの部屋にお邪魔しちゃった! ) ようやく少年から手を離した真弓は、ふらふらとソファに歩み寄り大儀そうに腰を降 ろす。 「ねえ、使い立てして悪いけれども、冷蔵庫の中に缶ビールがあるから、1本持って 来てちょうだい」 「はっ… はい、わかりました」 リビングの入り口で立ち尽くしていた少年は、慌ててダイニングに駆け込むと冷蔵庫 の扉を開き、中からよく冷えた缶ビールを取り出した。
「お待たせしました」 「ありがとう」 冷えて汗をかいた缶ビールを受け取った真弓は、プルトップを開くと咽を仰け反らせ て麦芽酒を呷った。 「ぷは〜〜〜〜〜〜〜、生き返った! 」 ようやく人心地ついたのか? 真弓は一気に半分近くまで缶ビールを咽の放り込むと 、その美貌にはそぐわぬオッサン臭い様子で溜息を漏らした。 「ぼさっと、つっ立ってないで、君も座りなさい、沢崎くん」 「あっ、はい、わかりました」 美人教諭にビールを手渡した信也は、促されるままソファの少し離れた場所にオズオ ズと腰掛けた。
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