「なんで処理速度で劣りストレスも大きいノートタイプのパソコンをネットに繋いで 、高性能な機体の方を遊ばせていたのか? 今ならば、その不自然さも納得が行き ます。おそらく校長はトロイの木馬などの情報流出ウイルスの被害を警戒して、敢 えてデスクトップの方はネットから遮断していたんだと思います」 自信満々に言い切った信也に向かって、ようやく真弓が口を開いた。
「えっと、とにかく、校長室のパソコンが不自然なのね? だから。そこにDVDの オリジナルが隠されていると言うことでいいのかしら? 」 コンピューターには疎いが、さすがに教員だけあって真弓の理解力は優れていた。 「はい、たぶん、あのパソコンの中だと思います。でも、そこまで用心する校長なら 、ひょっとすると部屋の何処かにバックアップのデーターを何らかの形で残してい る可能性も捨て切れません。だから… 」 ここまで話すと信也はいきなり立ち上がる。
「僕は今からもう一度、あの校長室に忍び込んでみます。日曜日の午前中ですので、 たぶん、現場はあのまま放置されているでしょう。もしも騒ぎに成っていたら諦め ますが、まだ露見していなかったら、もう一度忍び込んで後処理をして来ますよ」 憧れの女教師の為に彼女の恥ずかしい記録の削除を決意した信也の言葉に、真弓は嬉 しそうに微笑んだ。
「それならば、私も一緒に行くわ」 思ってもいなかった申し出に、少年は面喰らった。 「あの、先生… じゃなくて、真弓さん。僕を信じて下さい。あのオリジナルのデー ターを悪用したりは絶対にしません。だから… 」 「違うわよ、私には私の都合があって、一緒にあそこに戻りたいの。ねえ、いいでし ょ? ちょっと待っていてね、すぐに着替えるから」 信也にとめる間も与えずに、女教師は着替えの為に隣の部屋へと駆け去った。
「すみませんが、学校に戻る前に、ちょっと僕の家に寄り道して下さい」 真弓がハンドルを握るのは彼女が平素通勤に使う国産のファミリーカーだった。 「えっ? 別に良いけれども、なんで? 」 「どうせ危険を覚悟で、もう一度現場に戻るのならば、残っているだろう不具合なデ ーターの処理を完璧に行ないたいのです。だから… あっ、次の信号を右に曲がっ て下さい。右折後、しばらく走ると歩道橋がありますから、その手前の十字路を左 にお願いします」 少年の存念が完全に分かったわけでは無いが、それでも真弓は年下の愛人と成った信 也の指示に従い、彼の自宅に車を向けた。
「おまたせしました」 建て売り住宅とおぼしき無個性の一軒家が並ぶ、ごく平均的な住宅街の一角の家から 飛び出して来た信也は、自宅から持ち出したディパックを抱えたまま息せき切ってヴ ィッツの助手席に転がり込んで来た。 「それじゃ、いよいよ学校に戻るわよ。いいわね? 」 「はい、構いませんが、出来れば車を停めておくのは教員専用の駐車場は避けた方が いいと思います。万が一、刑事事件として捜査の対象に成った時に、目撃者がいた りしたら、何故、真弓さんの自家用車が日曜日の教員専用駐車場に停まっていたの か? 問題に成るとヤバイですよ」 細かい所にまで考えが行き届く少年の言葉に驚きながら、ハンドルを握る真弓は頷い た。
「そうね、それじゃ、近所のコインパーキングに車を停めて、それから学校に乗り込 みましょう」 学校から程近い無人の有料駐車場に愛車を停めた真弓は少年の案内に従い、人通りが 途絶えた裏道を選び学校に辿り着く。 「どう? 騒ぎに成っている? 」 先行する少年に真弓は心細気に問いかけた。 「いいえ、なにも変わった様子はありません。これならば大丈夫ですよ」 真弓が通用門の鍵を持っていたことから、信也は昨晩の様に鉄柵をよじ登る苦労も無 く、再び己の学び舎に侵入を果たした。人気の無い校舎の階段を足音を気にしながら 静かに昇った2人は、ようやく校長室の前に辿り着く。
「それじゃ、開けますよ」 やはり気持ちが悪いのか? 彼の左手の二の腕にしっかりとしがみついている真弓に 向かって、少年は語りかけた。 「うん、いいよ、ここまで来たら、もう行くっきゃ無いもんね」 やや青ざめてはいるが、事が自分の恥ずかしい姿の記録の削除だから美しい女教師も 覚悟は決まっていた。ゆっくりと鍵の掛かっていないドアを開けると、そこには昨晩 の惨状がそのまま残されていた。2人は、なるべく校長の亡骸を見ないようにして回 り込み、持ち主を失った重厚なデスクに歩み寄る。
「さてと… 」 元校長専用の椅子に腰掛けた信也は、手慣れた調子で校長のデスクトップのパソコン を立ち上げた。 「やっぱり、パスワードが必要なのか… 」 予想はしていたが、最低限の警戒が施されたパソコンを前にして信也は渋い顔に成る。 「えっと、ちょっといいかな? 信也くん」 「はい、なんですか? 」 彼の背後からモニターを覗き込んでいた女教師は、校長のデスクの右側の二番目の引 き出しを開けると、中から黒革の手帳を取り出した。
「校長はパソコンを起動させるときに、いつもこの手帳を開いていたのよ」 手渡された手帳を捲ると、最初のページにパスワードとおぼしアルファベットと数字 がランダムに書き記されていた。 「あはは、もしも駄目ならば、最悪、ハードディスクを抜き出して破壊しようと思っ ていましたが、これならば苦労は無いですね」 彼はパスを要求する画面を見ながらキーボードを操作して最初の難関を突破する。 「あっ、たびたび、邪魔してゴメン、でも信也くん、ちょっと脇に退いてくれないか な? 」 背後に陣取った女教師の言葉に反応して、少年は一旦、校長のデスクの前から離れた 。すると真弓は机の中央の一番大きな引き出しを開き、なかから鍵の束を取り出した。
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