その21

 

 

 

昨日、真弓から授けられた策を脳裏に描きつつ、少年は持って来たディパックを担

ぎ直して面持ちを引き締める。心を決めたところで彼は、目の前のインターホンの

ボタンを強く押し込んだ。チャイムの音のすぐ後に、スピーカーから微かに雑音が

漏れて、そこからひと呼吸おいて返答がなされた。

『はい、どちらさまでしょうか? 』

「僕です、沢崎信也です」

この一軒家に辿り着くまでは、色々な心配が次々に思い浮かんだ信也だが、土壇場

に成ると不思議に肝が座った。しかし、美貌の保健教諭の方は、まだ少年ほどには

覚悟が決まっていないのか? 玄関の扉が開かれるまでに30秒近い間があった。

 

(やっぱり、悩んでいるのかな? これは真弓さんの言う通り、最初がとっても肝

 心と言うことだ)

あらかじめ真弓から、こんな場合もあるだろうと言われていたので、信也は別に苛

立つ事も無く、玄関の扉が開くのを待つ事が出来た。やがて、多少耳障りな金属音

と共に施錠が解かれて、ゆっくりと扉は内側から開かれた。

「あの… 」

俯き加減に何かを語ろうとする節子を他所に、信也はわざと傍若無人に振舞う。彼

女の声を無視した少年は、真弓から、この家の大雑把な間取りを聞いていたので、

彼女の指示に従い家主の許しを乞う事もなくスニーカーを脱ぎ捨てて上がり込んだ

。慌てる節子を尻目に、さも当然とばかりに廊下を進んだ信也は、応接間として使

われている洋室に足を踏み入れた。

 

「どうぞ、おかまいなく」

質素だが清潔な洋間の応接セットの長椅子に腰を降ろした信也は、最大限の努力を

払い何とか冷笑を浮かべる事に成功している。彼の横柄な行動に戸惑い、掛ける言

葉を持たぬ節子だが、信也の顔に張り付く笑みを見ると、そのまま黙って姿を消し

た。ほどなく戻って来た彼女が手にした御盆にはコーヒーカップとミルク、それに

角砂糖が乗せられていた。

 

「砂糖は二つ、ミルクもたっぷりでお願いします」

精神的に優位に立つ事の重要さを、昨日真弓からたっぷりとレクチャーされていた

ので、信也は挨拶も無く高圧的な態度を見せている。しかし、彼の尊大さとは裏腹

に、心臓は早鐘を打ち鳴らしていた。

(ほんとうに、大丈夫かなぁ? もしも、本気で仁村先生が怒ったら… いや、駄

 目だ、そんなことは考えてもいけない! もっと強気じゃなきゃ! )

差し出されたコーヒーの香りを楽しむ余裕も無く、信也は落ち着く為にカップに口

を付けた。

 

「あの、沢崎くん… 」

「はい、なんですか? 節子さん? 」

保健教諭の言葉を待つ少年に向かって節子は決意の眼差しを向けた。

「やっぱり、こんな事、いけないわ。間違っているもの。だって私は教師であなたは

 生徒なのよ。それなのに、こんな関係に成るなんて、世間が知ったら何と言われる

 か? いいえ、私は罪深い女だから、後ろ指を刺されても仕方ないと思う。でも、

 沢崎くんまで巻き込むような事は許されないわよ」

ほとんど昨日真弓が想定していた問答だから、信也は慌てる事も無く冷笑を浮かべた。

 

「こんな広い家に、たったひとりで暮らしているのですね? 御両親が他界なされた

 あと、5年もひとりでは、寂しかったのでしょう」

話を逸らした信也に向かって、節子は不快感を露にする。

「そんな事は沢崎くんには… 」

「だから、校長先生を誘惑して、この家でSMプレイを楽しんだのですね? 校長は

何度もここに来たのでしょう? 」

節子に最後まで言わせる事を拒んだ少年は、胸のポケットからプリントアウトした数

枚の写真を取り出すと、ぞんざいにテーブルの上にバラ捲いた。その写真を見た節子

の顔からサッと血の気が引いて行く。

 

「あのエロ校長が趣味で集めていた濡れ場のDVDの一部のコピーです。もちろん原

 本は僕が全部引き継いで管理しているんですよ。ほら、これなんか良く写ってます

 よね? 」

信也が指先で摘まみ上げたのは、胡座をかいた校長の上に乗り背面座位で蜜壷を貫か

れている節子の艶姿なのだ。白い肌を締め付ける荒縄がアブノーマルな肉の交わりで

ある事を証明している写真だから、節子は二の句が告げない。

 

「いけませんね、いくら寂しいからって。校長先生には奥さんも、お子さんもいるの

 に、少しは相手の御家族の事も考えなかったのですか? まあ、恋は盲目って言い

 ますが、既婚者の校長を誘惑してSMプレイに興じるなんて、感心は出来ませんよ」

わざと事実を歪めている少年の言葉に、節子は怒りを露にする。

「ちっ… 違うわ、私は無理矢理に校長先生に… けして、私の方から誘惑したなん

 て、そんな、酷い誤解よ! 」

そんな事は分かり切っている信也だが、目の前の美貌の保健教諭を追い詰める為に、

わざと彼女を加害者に仕立て上げて行く。

 

「ふ〜ん、まあ、校長先生は、あのザマだから反論できませんよね。でも正直なとこ

 ろは、どっちが誘惑したか? なんて事は、ど〜〜だって、いいんです。要は、こ

 んな恥ずかしい写真やDVDの映像データーが、全部僕の手元にあると言う事なん

 ですよ」

彼は手にした脅迫材料の写真をひらひらと振って見せる。

「もしも、こんな写真が学校の中で出回ったりしたら、どうしますか? 仁村先生? 

 いや、節子さん。顧問のあなたを尊敬している茶道部の女子達は、どんな顔をしま

すかねぇ? なんなら部員の皆に一枚づつ進上してもいいのですよ」

茶道部の指導にはことのほか打ち込んでいる節子だから、脅迫の材料にはうってつけ

だと真弓から知らされてはいるが、参謀格の彼女がいない今、信也はひとりで脅迫の

芝居を続けるしか無い。

 

「いいですか? 節子さん、あなたは何も悪くないんですよ。ただ、あなたは人に知

 られたくない秘密を、不幸な事に僕に知られてしまったのです。そう、あなたは今

 回も被害者です」

手にした写真を突き付けながら、信也は昨日真弓から受けた指導の内容を一生懸命に

思い出していた。

 

 

 


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