その50

 

 

 

 

話は数日前に遡る。

 

「なるほどね、つまり、あの生意気な小僧じゃ無くて、本当の亭主をスワップ・サ

 ークルに巻き込みたいんだね、美紗子さん」

自分の部屋と、まったく同じ間取りの隣家に押し掛けた美紗子は、滝川家の主人の

義雄の言葉に頷いた。

「それにはアナタの手助けがいるのよ、ねえ、美紗子さん」

彼の隣に腰掛けた真弓子が、親しい隣家の主婦への助け舟を出す。

「ああ、かまわないぜ、俺に出来ることならば、何でも喜んで協力するさ」

厳つい顔をくしゃくしゃにして、義雄は頷き安請け合いした。サークルの男性会員

たちは、新参者の正信には牡としてのコンプレックスから微妙な反感を持っている

が、あの絶倫小僧のパートナーとして会に参加した美紗子には、一同がメロメロに

成っていた。その美紗子がスワップ・パーティへの参加の危機に瀕していると成れ

ば、義雄はひと肌でもふた肌でも脱ぐ覚悟でピンチの脱出に協力を申し出る。

「ありがとうございます、義雄さん。これで私はサークルへの参加を続けることが

 出来ますわ」

頭を深々と下げて感謝の意を現した美紗子は、隣家の一家の協力を取り付けたこと

で安堵の表情に成る。

「それで、具体的には、どうすれば良いんだい? 」

悪巧みが楽しいのか、わくわくした様子で義雄が身を乗り出す。

「それではまず… 」

美紗子は、ここに来るまで頭の中で組み立てた計画を最初から説明した。

 

 

「あはははは… こりゃ、けっさくだ。この俺は間抜けな寝取られ夫を演じるのか! 」

「ごめんなさい、義雄さんには、大変御迷惑なお話だと思いますが… 」

成り行き上、一時的に義雄には恥辱を味わう役柄を押し付けることになるので、美

紗子は心底済まなそうな顔で頭を下げた。

「いや、誤解していでくださいよ。面白い、なあ、すごく面白いじゃないか? 真

 弓子? 」

「うふふ、いかにもヨッちゃん好みのストーリーでしょ? 最初に美紗子さんに聞

 かされたときは、私も笑っちゃったもの」

豪快に笑い飛ばす夫の横で、前もって段取りの説明を受けていた真弓子も、ニコニ

コと笑い顔を見せていた。

「よし、この盗聴器と、それから隠しカメラの準備は任せてくれ。なに、新たに購

 入しなくても、緒方さんのお屋敷には、この手の装備はたいがい揃っているんだ

 よ。利用目的を聞いたら、緒方さんが貸してくれないワケは無い。ひょっとした

 ら、自分も一枚噛ませろと言い出しかねないな、あのスケベ爺さんは… 」

心の底から悪巧みを楽しむ義雄を呆れたように睨んだ真弓子は、旦那の太股に手を

伸ばすと力を込めて抓った。

「いてててて… なにするんだよ。真弓子」

「調子に乗らないの、ヨッちゃん。アンタの芝居が、この作戦の正否を握っている

 んだから。真面目にやらないと、他の男性会員と役者を交代させるからね」

妻の剣幕に怯んだ義雄は、面持ちを引き締めて頭を下げる。

「もっ、申し訳ない! だから役者の交代は勘弁してくれ、こんな面白い話から外

 されたら、俺は泣くぞ! なあ、真弓子、それに美紗子さん、たのむよ、ちゃん

 と真面目にやるからさ」

厳つい顔に泣きベソを浮かべた義雄を見て、真弓子と美紗子は思わず笑ってしまっ

た。こうして、和人の知らないところで3人の関係者による綿密な計画が練り上げ

られて、いよいよ今夜、実行に移されたのだ。

 

 

「ごちそう様でした、いやぁ、美味しかったです」

「お粗末さまでした」

和人好みの和風料理の数々は、あらかじめ美紗子から耳打ちされていたことなので

、隣家の旦那は全部の皿を空にする食欲を見せていた。

「あら? ワインはお嫌いでしたかしら? 」

あらかじめ美紗子からアルコールには極端に弱い体質であることを知らされていた

が、真弓子は素知らぬ顔でワインを勧める。

「いや、実は情けない話しですが、私はお酒が全然駄目なんですよ。ビール、コッ

 プ1杯で二日酔いを心配しなければいけないんです」

「そんなこと、おっしゃらないで、ねえ、乾杯の一杯だけ、付き合ってちょうだい」

細くたおやかな指でワイングラスの脚を摘んでかかげる真弓子を目の前にして、こ

れ以上の辞退は失礼にあたると考えた和人は、ここでやむなく性根を据えた。

(一杯だけ飲み干したら、すぐに失礼して、あとは隣の自分の部屋に戻って寝るだ

 けだからな。よし、ここは潔くいただこう)

真正面から自分を見つめる美人妻の懇願に負けて、自分の分のグラスを手にした和

人は彼女との乾杯を済ませると、真紅の液体を勢い良く咽に放り込んだ。

(くえ〜〜〜〜 苦いし渋い、こんなものを好んで飲む輩の気が知れん)

内心では辟易となりながらも、大人の配慮から曖昧な笑みを浮かべた和人は、すぐ

に自分が真っ赤になっている言を顔の火照りで自覚する。食事を終えたら、ハイさ

よならと言うのも無礼だから、和人はアルコールの効力で迫りくる眠気と戦いなが

ら、目の前で快調なピッチでグラスを干す真弓子と愉快で飽きない会話を交わす。

30分ほど、他愛も無い世間話を繰り返している内に、急に真弓子が俯き呻いたの

で、和人は驚き立ち上がる。

 

「どっ、どうしました? 滝川さん? 」

「あら、御免なさい、久しぶりのお酒で、すい過ごしてしまったらしくて、ちょっ

 と気分が… 」

そのまま立ち上がろうとした真弓子が、足元をふらつかせたのに慌てた和人は、い

そいでテーブルの対面に駆け寄り彼女をがっしりと捉まえ支える。

「ああ、ごめんなさい、こんな醜態をお見せして。カズトさんのお話が面白くて、

 つい聞き惚れてしまい、ちょっと迂闊に飲み過ぎたみたいです」

さり気なく名前で呼ばれたことに少しドギマギしたが、このまま放り出して自分の

部屋に戻るのも気が引けた和人は、彼女を支えたまま途方に暮れる。同窓会旅行に

参加中の妻とは異なる香しい香水に鼻梁をくすぐられた和人は、不意に真弓子に強

烈に女を感じて戸惑った。

 

 

 


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