その55

 

 

 

 

全ては面白いように段取り通りに進み、滝川の妻の真弓子からスワッピングに誘われ

たけれど、どうしようと美紗子が夫に尋ねたのは、あの茶番劇から2日後のことだっ

た。自分が妻や隣家の夫婦の陰謀にはまっているとはつゆ知らず、本気で真弓子の説

得が上手く行ったと信じ込んだ和人は、焦っては元も子も無いと己を戒めつつ、白々

しく初めて聞いた事のように大袈裟に驚き、そして興味を見せていた。美しい妻の前

で何ごとも体験だと力説した和人は、内心でほくそ笑む美紗子に向かって熱心に参加

を呼び掛けた。こうして、正信と美紗子の陰謀は大成功のうちに幕を降ろしていた。

 

 

あの深夜の騒動から3週間後、ついに和人が熱望していたサークルの集会が開かれる

日がやってきた。今回ばかりは美紗子と行動を共に出来ない正信は、気楽な学生と言

う身分から時間の融通が利くので1日早く会場である別荘に入っていた。特別会員扱

いであっても、自分は女性を連れて来ていない若者は、何か穴埋め出来ないか? と

、緒方に申し入れていた。最初は無用な気遣いだと笑って断った主催者だが、正信の

熱心な申し出を無碍に退けるのも気の毒に感じたのであろう。その結果、他の使用人

達に混じり彼は別荘で行なわれるパーティの準備を行なっている。

「正信くん、そろそろメンバーが到着する頃だよ」

使い終えた掃除機を納戸に仕舞うために手にしていた若者を、緒方が廊下で呼び止め

た。

「はい、わかりました。それじゃ、俺は計画通りに移動しますね」

広い別荘だから、いくらでも空き部屋はあるのだが、ついうっかりとはち合わせする

危険を考えた緒方の配慮で、正信は別荘の裏手の庭に幾つか建てられたコテージのひ

とつをあてがわれていたのだ。自宅からここまで乗って来たバイクを押して、別荘の

母屋から裏手のコテージに移動した正信は、緒方の心尽くしであるサンドウィッチを

ぱく付きながら今夜の段取りを思い返す。

「えっと、夕食のあと、内線電話を受けたら、指定の部屋に忍んで行くんだよな」

すでに美紗子と正式な夫婦では無かったことは、緒方の口から既存のメンバー全員に

は知らされているので、大きな問題は無いだろう。あとは夕闇が庭を隠し行動の自由

を取り戻すまで、正信は大人しく待っていれば良かった。

 

 

(もうそろそろかな? )

手にした缶コーラを飲み干した正信は、ソファから立ち上がると部屋の隅のゴミ箱に

アルミ缶を放り込む。窓に歩み寄りカーテンを少しだけ開くと、辺りには夜の帳が降

りていて母屋の別荘から漏れた光が裏庭をか細く照らすばかりに成っていた。コテー

ジと言ってもユニットバスも組み込まれているし、平家ながら大きなロフトもあるの

で、けして手狭には感じない。だが、さすがに、たった一人で過ごすのは手持ち無沙

汰なので、彼は退屈凌ぎの為に持ち込んだ雑誌に再び目を落とした。ほどなく、内線

電話の軽やかな呼び出し音が部屋に響く。待ってましたとばかりに立ち上がった彼は

、急ぎ足で電話に近付くと受話器を取り上げる。

『マサノブ? 私よ、分かる? 』

「はい、景子さん、もちろんです」

若者が最初に参加したサークルの集まりの時に、彼をテニスで散々に打負かした美人

テニスプレーヤーのしなやかで引き締まった肢体を思い出した正信の頬はだらしなく

緩む。

『皆、それぞれ部屋に行ったから、もう大丈夫よ、裏口にいらっしゃいな、待ってい

 るわ』

それだけ話すと彼の返事を待つこともなく、一方的に受話器が置かれた音が響いた。

 

「やれやれ、景子さんらしいな。でも、と、言う事は、今夜のお相手は彼女なのか」

相手にとって不足無しとほくそ笑んだ正信は勇躍、自分のコテージを後にした。誘い

の言葉の通り、別荘の裏口には景子が待ってくれていた。頭を下げて挨拶しようとし

た正信の手を掴んだ彼女は、強引に若者を引き寄せると、いきなり情熱的なキスを仕

掛けてきた。慌ただしく唇を塞がれた若者は、目を白黒させながらも周囲の状況に気

を配る。もしも、この瞬間に何かの手違いで和人がここに現れたらと思うと、彼は気

が気では無かった。そんな正信の心配も他所に、景子はしばらくの間、舌を絡める熱

烈なキスを仕掛けて彼の唾液を啜り上げる始末だ。

「はぁぁ… ひさしぶりね、会いたかった」

「ええ、俺もですよ、景子さん」

ようやく気が済んだ美人妻は彼から身を離すと、その手を引いて廊下を歩き始めた。

「心配無いわ、アナタの知り合いの男性なら、今夜のお相手は淑子さんだから、そう

 簡単に部屋から出てくる事は無いもの」

何故か景子は2階へ昇る階段では無く、別荘の1階の奥へと若者を導く。

 

「おまけに、緒方さんも警戒して、私達だけはいつもの2階じゃ無くて、1階の部屋

 をあてがってもらったの。だから、そんなにキョロキョロしなくても平気なんだか

 ら」

このサークルの主催者の配慮に感謝しながら、美貌の元天才テニスプレーヤーの後に

続き、正信が別荘の奥まった所の部屋に足を踏み入れた。

(えっ! あれ? どう言うことだ? )

二階と同様に高級ホテルのツインルームのような部屋に入った正信は、片方のベッド

に腰掛けている気弱そうな男を見て面喰らう。

(えっと? たしか、この人は… そうだ! 景子さんの旦那さんじゃ無いか! )

無人であるべき部屋に、よりによって景子の夫が待ち構えていたのだから、正信の当

惑も当然だ。

「あっ、あの、景子さん、これって… 」

「詳しいことは、主人に聞いてちょうだい。私は先にシャワーを浴びてくるから」

呆然と佇む若者を残して、上機嫌な景子は洗面脱衣所へと消えて行く。

 

「やあ、驚かせてしまって、済まないねぇ。自己紹介をさせて欲しい。私は長峰泰

 男、御存じだとは思うが景子の夫だよ」

ベッドの端から立ち上がった中年の男は、気弱そうな笑みを浮かべながら手を差し

伸べて来た。

「あの、横田正信です、どうぞ、よろしく」

断る理由もないので友好的に握手を交わしながら、正信は困惑を深める。

「君が驚くのも無理はない。だが、私がどうしても今夜、この部屋に居たかったん

 だ。だから主催者の緒方さんに頼み込んで特別に許可をもらった次第なのさ」

握手を終えた泰男に促されて、正信はソファに腰掛けた。

 

 

 

 

 


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