倉の中の闇

 


その1

 

 

 

 

間宮優香は土産を入れた手提げ袋を持ち駅の階段を急ぎ足で降りて行く。大学が夏休

みに入ったことからの帰郷だが、大きい荷物は前もって宅急便で実家に送ってしまっ

たので、彼女の荷物は東京駅で目に付き買い求めた土産物数点以外はエルメスのケリ

ーだけだった。新幹線で3時間ちょっとの帰省だから、荷物はそんなもので事足りた

。階段を降り切ったロータリーで辺をぐるりと見回すと、車止に停まっていた銀色の

メルセデスの運転席のドアが開く。

「優香ちゃん、こっちよ」

優しい姉の出迎えが嬉しくて、優香は小走りでベンツに急いだ。

「ただいま、お姉ちゃん」

「おかえりなさい、優香ちゃん」

促されるままに助手席におさまった優香は、姉の顔を見てようやく自分が故郷に戻っ

て来た事を実感した。

彼女の実家である間宮家は江戸時代にはこの地方で一・二を争う豪農として知られて

いたらしい。屋敷の裏山の天辺から、ぐるりと見渡せる全ての土地の所有者であり、

背の高い白壁に囲まれた豪華な館には大きな土蔵が7つも立ち並ぶ裕福な家柄として

近在にも知られていた間宮家は、御維新以降も新政府に上手く取り入り曾曾お爺ちゃ

んは県令補佐の地位も得ていたそうだ。

祖父の代には日本列島改造論をぶち上げた某首相の思惑を先読みして、新幹線建設ル

ートの情報をいち早くに入手、前もって土地を二足三文で手に入れた挙げ句に高額で

の転売に成功して巨万の富みを得ている。バブルの崩壊で多少は痛い目にもあった様

だが、それでも新幹線が停車する地方都市の駅の周辺の土地の大地主として間宮の一

族は知られていた。

 

「お父様は元気にしている? お姉ちゃん? 」

「ええ、元気よ」

お抱えの運転手では無く、自らがメルセデスのハンドルを握り出迎えてくれた姉の心

遣いが嬉しくて、優香は自然と頬を緩めている。10年程前に母親を病気で失った姉

妹の父親は、一時期は東京に進出を果たして手広く不動産業を営み、それなりに成功

をおさめたものの、最愛の妻を病で失った痛手から立ち直れず東京での事業を他人に

譲り渡して、今は実家のあるこの地方都市で間宮家所有の美術品を公開する個人美術

館の管長職に付いていた。

規模こそ県立美術館に遠く及ばぬが、さすがに明治・大正・昭和の時代を大富豪とし

て過ごして来た間宮家の力は侮り難く、展示品の質や世間相場で見た所蔵品の総額は

県立美術館を凌ぐと噂されている。特に戦争を嫌った曾祖父が芸術家を志して太平洋

戦争中には兵役を免れる為に同盟国イタリアに留学していた縁もあって、イタリアの

歴史的な絵画の収集は国内でも有数な美術館として知られていた。

「どう、お姉ちゃん、もう美術館のお仕事にも慣れた? 」

妹とは異なり、父親と暮らす実家から地元の大学に通った姉は大学院まで進み、この

春の卒業後には父の哲男が管長を務める美術館に学芸員として就職を果たしていた。

間宮の家は父と娘二人だから、とくに年頃と成った礼子には自薦他薦の婿候補が行列

を成していると言われていた。だが、姉にはまだ結婚の意志が無く、妹の優香の知る

限りでは特定に深く付き合っている男の影も感じられない。

ひょっとして彼女が大学進学を機に家を出たあとで、彼氏でも出来たのではないか? 

それはもしかすると職場である美術館の関係者では無いか? と、想像した優香はそ

れとなく仕事の事を聞いてみたのだ。

 

「ええ、お仕事の方はだいぶ慣れたけれども、人間関係の方でちょっと悩んでいるわ」

「えっ? まさか先輩や上司から嫌がらせを受けているの? それとも、今流行りの

 セクハラ? お姉ちゃんが言い辛いならば、私がお父様に掛け合って止めさせてあ

 げる」

縁故がミエミエの管長の娘の就職だから、職場で嫌がらせを受けているものと早合点

した優香は憤慨する。

「違うのよ、課長の箕田さんや部長の西岡さんまで、私の事を『お嬢様」とか『礼子

 様』って呼んで下さるの。新米の学芸員なのですから、間宮クン、あるいは礼子ク

 ンで十分ですってお願いするんだけれども、『そんな、間宮家の本家の御令嬢を君

 付けで呼ぶなんて失礼な事は出来ません』と、言うのよ」

ハンドルを握る礼子は困惑の色を隠せない。

「それに、新米の仕事のハズのお茶くみや、オフィスのお掃除も『そんな雑事でお嬢

 様の手を煩わせる事は出来ません』と、言って、先輩学芸員の方がやってしまうし

 、ほら、来年の春にお父様が展示品の買い付けにイタリアへ出向かれる時の随伴も

 、先輩学芸員2人の他に私もメンバーに入っているのよ」

困った顔の姉を、何とか元気付けようとして優香は頭を捻る。

「だって、お姉ちゃんはイタリア語だけじゃ無くて、英語とフランス語も、会話に困

 らない語学力も持ち主だもの。だからお父様のイタリア行きの御供に選ばれたのよ」

「たぶん違うの、だって今まではお父様と先輩学芸員の方2人の、合計3人で出掛け

 ていたし、先輩の内のひとりは私よりもイタリア語が堪能なんだもの」

 

セクハラ・モラハラどころか、新入りにも関わらず実家の威光からお嬢様扱いされて

悩んでいる姉が何とも気の毒だが、間宮美術館に勤めている限り、姉の礼子の気苦労

は絶える事が無いだろう。可哀想だが間宮家の令嬢ならば仕方のない悩みだった。姉

の苦境に同情しているうちに、礼子の操るメルセデスは無事に館に到着した。

ひと昔前であれば、ずらりと居並ぶ使用人が一斉に頭を垂れて御出迎えに到るところ

であるが、さすがに平成の御代ともなればそんな時代錯誤の光景はお目にかかる事は

無い。豪勢な邸宅の広大な庭の手入れもお抱えの庭師では無く管理会社に任せている

し、お手伝いさんも数人、いるにはいるが住み込みでは無く、これまた斡旋会社に任

せて通いの人を送り込んでもらっていた。館の裏側の駐車場には、父親の愛車のボル

ボが鎮座していた。礼子は北欧の頑丈なセダンから少し離れた場所にベンツを停める。

 

「ああ、よかった、自動車事故も無く無事に付いたわね。これって奇蹟かしら? お

 姉ちゃん? 」

「なによ、そんな事を言うひねくれた妹は、帰りは送ってあげないから。歩いて駅ま

 で行くことね! ふん!」

憎まれ口を叩き合った姉妹は、わずかの間は真顔で睨み合うが、すぐにお互いを見つ

めながら笑い出してしまう。

 

 

 

 

 


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