嗚呼、大学の同好会 前編 


その1

 

 

 

「ねえ、君、そう、君のこと、いや、ちがうってば、君よ、君! 」

キャンパスの門をくぐってすぐに、智也は見知らぬ女性から声を掛けられて戸惑っ

た。栗色の巻き毛を揺らせて歩み寄って来た美しい女性は、満面に笑みを浮かべた

まま、さも当たり前のように智也に腕を絡めてきた。この4月、第一希望では無か

ったが、滑り止めよりは1ランク上の大学に首尾良く入学を果たした瀬口智也は、

大きな期待と小さな不安を胸に秘めながら、これから4年、あるいは、それ以上通

うことになる大学のキャンパスに入学後、初めて足を踏み入れていた。

 

門を通過して真正面にある校舎まで続く石畳の通路の左右では、色とりどりの幟や

旗が風に煽られて、ひらひらと揺れ動き、まるで早朝の魚市場を思わせるような喧

噪と混雑が智也を圧倒した。入学を控えた新入生に対するオリエンテーションの初

日とも成ると、運動部を始めとする各種クラブ、同好会、それに大学からは非公認

のサークルなどが、こぞって繰り出して新入部員の獲得に血道を上げているのだ。

朝の駅のラッシュとまでは言わないが、それを思わせる混雑の中で、智也は初めて

会った女性に腕を絡め取られて思わず赤面している。

 

「ねえ、君、新入生だよね? 君は女の子にもてたいって思わない? 」

唐突な呼び掛けに面喰らいながら、思わず智也は頷いた。男子高のむさ苦しい環境

で3年の長い年月を過ごして来た若者は、キャンパスを彩る女子学生が集団で闊歩

する姿を見て、心のなかで何度もガッツポーズを繰り返したものだ。

(ああ、これだ、これだよ、やっぱり大学っていいなぁ… )

色気も素っ気も無い、無味乾燥な3年間の男子校での苦行の末に、ようやく辿り着

いたキャンパスと言う名のオアシスだから、智也が多少は浮ついていても、それを

責めるのは酷と言うものだろう。そんな若者の心の隙を見透かしたように、栗色の

巻き毛の女の子は親し気な笑みを浮かべて彼を見つめていた。

(うわぁ、綺麗なひとだな! )

化粧品の香りが仄かに漂う美女から、いきなり腕組みされた若者は女性に関する免

疫を持たぬので、すぐに首筋まで真っ赤になっていた。

(目は大きいし、唇は真っ赤で艶々だし、おまけに睫がこんなに長いなんて… 本

 当に女子大生って綺麗な人が多いや)

キャンパスの中でも目を見張るような美女に腕を組んでもらって、智也は有頂天に

なっていた。

「ねえ、もてたいよね? そうでしょ? えっと… 」

「智也です。あの瀬口智也って言います」

大きな瞳で真直ぐに見つめられて、若者は頭に血が昇るのを自覚しながら自己紹介する。

 

「そう… トモヤくんか、私は遠藤美樹子、ミキって呼んでね」

美樹子は天使を思わせる微笑みを浮かべて智也を見つめてくれた。

「あの、はい、もてたいです。美樹子さん」

「うんうん、正直でよろしい、それならばウチの同好会に入れば、バッチリと夢が叶う

 わよ。なにしろメンバーの構成は、男は2人で、女の子は私を含めて7人なんだもの

 。トモヤくんなら、メンバーの女子の中で選り取りみどりだと思うわ」

そんな極楽の用な同好会があるなんて、やっぱり大学って素晴らしい! と、感動に胸

を震わせる若者の手を取った美樹子は、外見からは想像出来ないほどの力で若者を引っ

張り3号棟と呼ばれる教室の裏に連れて行く。

「あっ、ちょっとまってください、美樹子さん、そんなに引っ張らなくても、ちゃんと

 付いてゆきますから」

慌てて足を縺れさせた智也の声に耳を貸さず、栗色の巻き毛が印象的な美女は、強引に

若者を引っ張って行った。その光景を目撃していた他のサークルのメンバー達は、皆が

一様に曖昧な笑みを浮かべて連れ去られる智也を見送った。

 

「ああ、御愁傷さまね、あの新入生」

「うん、よりによって、鬼の美樹子に目を付けられるとは… 南無阿弥陀仏、南無阿弥

 陀仏… 」

「でも、彼が犠牲になってくれれば、とりあえず、他の新入生の獲得を邪魔されないか

 ら、まあ、良かったと言えば良かったよ」

智也が耳にしたならば仰天する様な物騒な会話が成されたことを、大学の雰囲気に浮か

れた若者は知る由も無かった。

 

 

「さあ、到着! ここよ、智也くん」

「へっ? ここって… 」

重厚な瓦屋根が印象的な平家の木造の建物は、智也の概念からすると何かしらの武道に

使われる道場に他成らず、美樹子の艶っぽい外見から勝手に文科系の同好会を想像して

いた若者は、目の前で平然と微笑む美女と歴史を感じさせる武道場とのギャップに苦し

んだ。

「さあ、遠慮なんていらないから、上がってちょうだい」

背中を押されるまま彼はスニーカーを脱ぎ靴下と成り、畳敷きの大広間へ足を踏み入れ

た。

「みんな〜、新入会員を紹介するわね、えっと、セグチトモヤくんです」

空手着を身に付けて柔軟体操を行なっていた同好会のメンバー達は、智也と美樹子の方

に顔を向けると笑顔で手を上げたり、軽く会釈するものまでいた。

「あの、美樹子さん、これって… 」

「南方大学空手同好会へようこそ! 歓迎するわよ智也くん」

やはり目の前の、いかにも女子大生らしい溌溂とした美女と、野蛮な空手と言う武道と

のギャップに苦しみながら、智也はどうやって入部を断るか苦慮していた。高校時代の

3年間、彼は卓球に青春を捧げていた。好きで選んだ卓球部だったから、練習がキツい

のは苦には成らなかったが、むさ苦しい男子ばかりの集団で、もくもくと躯を虐めて修

練をかさねる運動部の活動には辟易としたものがあったので、彼は大学では運動部や体

育会系同好会を避けて、もっと華やかで楽しい文科系のサークルへでも参加しようと心

に決めていたのだ。

 

「あの、美樹子さん、僕は空手はズブの初心者で、それに運動系列の同好会や部活動は

 ちょっと… 自分が空手に向いているとも思えませんので、このお話は辞退させてい

 ただきたいのですよ」

男子高で3年を過ごした智也にとって、眩いばかりの大人の色香を感じさせる美樹子だ

から、そのイメージから考えて、おそらく彼女は空手同好会のマネージャーだろうと推

察した若者は、入部歓迎の流れに逆らい辞意を示す。

「そんな、冷たいことを言わないで、とりあえず、今日は練習だけでも見学して行って

 ちょうだい、ねっ、良いでしょう。まあ、そこに座って… 」

回れ右して道場を立ち去ろうとした智也を、彼女は強引に引き戻す。その時… 

「遠藤! 遠藤美樹子はいるか? 」

柔道着姿の厳つい顔の面々が、殺気を漂わせて道場に乗り込んで来た。

 

 

 

 

 


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