短い冬休みがおわり、まだ寒風吹きすさぶ南方大学のキャンパスだが、新設された 地方校舎の利点は冷暖房が完備されていることだった。窓の外は木枯らしが音を立 てて吹き荒んでいても、鉄筋コンクリート5階建ての3号館の中規模教室の中は暖 房効率が極めて良く少し汗ばむくらいに温かい。教室の中に入った生徒達は、ここ に辿り着くまでには必需品であったコートやジャケットを脱ぎながら、そこかしこ で晴れやかに新年の挨拶を交わしていた。 「あっ、はっぴ〜、にゅー、いや〜、吉野! 蒲田! 」 新年最初の選択科目の1時限目の講議に真面目に出席していた吉野と蒲田の耳に、 元気いっぱいな女性の声が飛び込んで来た。その声を聞いた瞬間に蒲田は落胆し、 隣の吉野はしてやったりと小さくガッツポーズを見せていた。 「やあ、おはよう、部長、あけま… 」 賭けに破れた悔しさからふて腐れる蒲田を他所に、吉野は振り返り新年の挨拶を 途中まで口にしたのだが、彼は最後まで台詞を述べることもなく絶句した。 「あん? どうしたんだ? 吉村? 」 同級生で同じ空手部に所属する友人の態度を不審に思った蒲田は、目を大きく見 開いたまま固まる吉野を肘で突いた。しかし、吉野は呆然と前を見て我を忘れた ままだ。
「いったい、なにがあるって言うんだ? 」 吉野の視線の先を追い掛けるように蒲田も後ろを振り返った。 「やあやあ、カマやん! はっぴ〜、にゅ〜、いや〜〜」 いつもよりも、さらに明るい美樹子の新年の挨拶を確かに聞いた蒲田だが、彼も また友人の吉野と同じく言葉を失い空手部の女部長の姿を凝視した。これまでの 美樹子と言えば、洗い晒しのGパンと、これまた洗濯のし過ぎで色のあせたトレ ーナーに、年代物のダウンジャケットを羽織っているのが定番で、しかも朝が弱 いと広言していることから、おそらくギリギリまでベッドを離れるのを拒む結果 、たいていの場合は派手な寝癖もトレードマークに成っていた。 顔の造作は整っていて黙っていればそれなりに美女なのだが、服そうのセンスが 悪いと言うか無頓着な上に化粧気も乏しく、態度も横柄な上に言葉つかいもがさ つだから、これまで彼女に言い寄る男は皆無だった。たまに酔狂な輩が美樹子を 昼食に誘う事もありはしたが、学食で玉子丼のおかずにラーメンを頼み、それを 短時間で全部平らげる女は二度と同じ男に食事に誘われる事は無かった。 部活動において、大量のエネルギーの消費があることを知っている吉野や蒲田な らば、まあ納得出来る美樹子の食欲だが、彼女の空手に対する情熱を知らぬ若い 男にとって、昼御飯にあんなにも高カロリーな食事をペロリと平らげて、なおか つ一般的に見ればスリムと言える体系を維持する美樹子が不可思議な生き物に感 じられても無理はなかろう。 彼女の端正な容姿を惜しんだ同じ空手部の女性部員からは、それとなく化粧等も 勧められるが、「黙っていても良い女なのに、この上に化粧なんかしたら、言い 寄って来る男達の為に交通整理を雇わなければ成らなくなるから御免被る! 」 と、豪語していた。その美樹子が、あろうことか新年最初の講議の席に、バッチ リと髪型を整えメイクを決めて教室に現れたのだ。
「なによ、吉野? その顔は! まあ、言いたい事は、だいたい想像が付くけれ ど、もしも今、あんたが心に思っている事を口に出して喋ったら上段回し蹴り の1発や2発じゃ済まないからね! あたしだって、好きでこんな化粧してい る分けじゃないの! 」 空手部に籍を置く二人の同級生の男子が、予想通りのリアクションをかましてく れたから美樹子は照れて頬を赤くしながら襟元がボアの可愛いダッフルコートを 脱いで行く。 「うっ… うわぁ! 」 「うむむ、これは? 」 バッチリと化粧をした美樹子に見蕩れた二人は、襟のデザインが印象的な白のブ ラウスに薄いピンク色のセーターだけでも驚きなのに、冬だと言うのに超ミニ、 プラス生脚の扇情的な装いの美女を目の当たりにして唸り声を漏らしていた。蒲 田は目を丸くして絶句したままだが、友人よりも多少は世慣れている吉野は、最 初の衝撃から立ち直ると如才の無い笑みを浮かべた。 「たいしたイメージチェンジだね、よく似合っているよ、部長」 「だ〜か〜ら〜、好きでこんなチャラチャラした格好してんじゃ無いってば、こ れ、罰ケームなのよ」 履き慣れぬミニスカートが心細いのか、両手でスカートの裾を気にしながら美樹 子が赤面した。 「正月に智也の奴とゲームをしたんだけれども、あの野郎、一切手心も容赦もな しでさ。あたし、散々に負けて、それで、その罰ゲームとして、あいつのリク エストに応えて、こんなチャラい格好で新年最初の1日だけ大学の講議に出る ことになったのよ、ああ、恥ずかしい! 今度、再戦であたしが勝ったら、あ の野郎、褌一丁で校庭を10周走らせてやる! 」 「つ〜ことは、新年は瀬口くんと一緒に過ごしたって事で良いのでしょうか? 遠藤さん? 」 冷やかすように吉野が問いかけた。 「うん、一緒、あっ… そうだ。去年の忘年会の時に、いろいろ御協力ありがと さん」
誤魔化す事も無く二人にペコっと頭を下げる美女を見て、賭けに負けた蒲田が疑 問を漏らす。 「そうか… 瀬口も土壇場で男を見せたのか。奴も踏ん切ったものだ」 「い〜〜〜や、智也が踏ん切ったんじゃ無くて、アタシが奴を押し倒した! 」 どうだとばかりに胸を張る美樹子を見て、二人の同級生は呆れ返って苦笑しなが ら顔を見合わせた。 「まあ、これで晴れて空手部に独り者はいなく成ったわけだから、たとえ遠藤が 押し倒そうが、瀬口が手篭めにされようが、新年早々、目出たいことだ」 まだ賭けに負けたのが悔しくて、蒲田が不貞腐れて嘯いた。 「えっ? 独り者って? 嘘、それじゃ、去年まで私だけ、恋人がいなかったっ て事? まさか? だって香代子や友美は? 」 「香代子さんは幼馴染で違う大学に通う彼氏がいますし、友美さんは去年の春に 深い仲に成った工学部の彼とラブラブですよ」 事情通の吉野が蒲田から言葉を引き継ぎ説明した。 「昨年の年末の忘年会で僕や蒲田くんだけでは無く、女性部員の皆が遠藤さんと 瀬口くんをくっつけようと協力したのは、遠藤さんだけが彼氏無しのままだと 、何時、空手部が男女交際禁止になるかも分からないから、この際、瀬口くん を生け贄、いや貢ぎ物、犠牲者… えっと、まあ、とにかく、そのように全員 が一致団結したからです」 隣で憮然として腕を組んでいた蒲田までもがウンウンと頷いたから、美樹子は彼 女と智也の仲が、目の前の同級生の男二人のみならず、空手部の部員全員が了解 していたことに少なからずショックを受けた。
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