いつもならば4〜5人が集えば上等の文芸部の放課後の課外活動なのだが、文科 系の部活としては年に一度の晴舞台となる文化祭を間近に控えた週末土曜日の午 後ともなると、体調不良で欠席の一名を除き、14人もの部員達が各々の創作物 の成果を持ち寄っていたので、ここ図書準備室は妙な熱気に包まれていた。 本来であれば部長を務める三年生の生徒が音頭を取るところだが、二年生で次期 部長の座を狙う先輩が、ここぞとばかりに同人文芸誌の編集方針を提唱し、さら には雑誌の構成の素案まで準備していたことから、今回の会合では二年生先輩が 中心となって文化祭での展示配付予定の文芸雑誌の内容がテキパキと定まって行 った。 「最初は軽く◯◯先輩の文芸エッセイからスタートして、つぎに◯◯先輩の短編 、それに◯◯くんの短編、それから◯◯さんの文芸評論… 」 会合の主導権を握った二年生の先輩が、自分で練り上げた素案を元にして文化祭用 の文芸雑誌の骨子を決めて行く中で、この会合に参加した芳弘は文化祭が間近とな った熱気溢れる話し合いの中で、ひとりまったく異なることに気を取られている。 彼が上の空になった理由の美貌の顧問女教師は、自宅に招いた少年の目の前で痴態 を曝したことなど、まるで無かったことのように平然と、そして淡々と文芸部の監 督者としての役割を果たしている。 やたらにはりきる二年生部員の説明の合間に、じつに的確で現実的な問題提議を行 ない、さらに何度か予算の面での制約を指摘、また、学校指定の印刷所への入稿期 限への注釈を忘れない。やさしさときびしさのメリハリの利いた智代の指導は文芸 部員達からの信頼も厚く、この会合は影の薄い三年生の部長の存在を無視して、熱 心な二年生部員と智代が互いに意見を交換することで成り立っていた。
(先生って、あんまり化粧していなくても綺麗なんだよなぁ… ) 先週の週末に彼女の自宅に招かれた時には、学校の時とは異なりそれなりに装い化 粧も決めていた私生活での智代を知る身としては、こうして教職員らしい清楚な服 装で薄化粧の女教師を見ると、二人で秘密を共有していることを強く感じてドキド キしていた。 科学の教師の前澤の乱入と言う思わぬ事態と成ったものの、目の前の美貌の女教師 と肉欲に塗れた週末を過ごした芳弘は、いまでもまだまともに彼女の顔を見られず にいる。しかし、憧れの女教師の方は、あのベッドルームでの痴態など無かったか の様に振るまい、ここ数日の平然と担任の生徒のひとりとして芳弘に接していた。 今日も今日とて、文化祭が近いことからこうして文芸部の部活動に顧問として顔を 出しているが、言葉を交わすのは上級生ばかりで、一年生で下っ端の芳弘の存在な ど、まるで眼中に無いような情の無い態度だった。 (そりゃあ、馴れ馴れしくしてほしいとまでは言わないけれど、そんなにあからさ まに無視しなくても良いんじゃ無いのかなぁ… ) 先輩部員と、今後のスケジュールの調整を行なう美しい女教師の整った横顔を、そ れとなく眺めながら少年は胸中で小さく溜息を漏らした。不定期に年に1〜2度は 配付するが、なんといっても文化祭こそが文芸部の部員たちの作品を載せた同人誌 発表の真打ちの場だから、日頃はあまり部活動に熱意を見せぬ先輩達も、ここだけ では力瘤を入れて己の意見を主張する。 「表紙に関してはイラスト同好会と美術部の絵画部門に協力を要請した結果、それ ぞれからいくつかの候補作品をいただいています。ただ、裏表紙に関しては、そ の… 美術の◯◯先生が、自分の絵を使えと煩い… いや、強力にプッシュして 来ていますので、これは承諾しないと、イロイロな面で弊害がねぇ… 」 影の薄かった三年生の部長の報告に対して、同じ三年生の部員たちは苦笑しながら も頷くが、生意気盛りの二年生部員の一部からはブーイングが巻き起こった。
しばらくの間、文芸雑誌の内容とは直接は関わりの無い表紙の件で揉めたものの、 双方の意見を十分に聞き取った智代が、しごく妥当な折衷案を示したことで、この 小さな紛争にもすみやかに決着が付いた。先鋭的な二年生部員と、保守的な三年生 部長を支持する一派の間に、いくつか意見の食い違いは見られたが、その都度、双 方の思惑を十二分に吸い上げて、絶妙な軟着陸地点を示唆する智代の仕切りのおか げで、お昼すぎから始まった編集会議は、全校生徒の下校時刻である午後の6時に 2時間以上も余らせて終息へと向かった。 「以上で、今季の我が文芸部が文化祭において配付する文芸雑誌についての今日の 討議を終えます。このあと、何か思い付いたり、別の企画が立ち上がった時には 、その都度、個別に対応しますので、僕か山口先生の方まで申し出て下さい」 最後にようやく三年生の部長が部長らしくしめたので、芳弘はようやくシャープペ ンを置くことが出来た。正式に決められたわけでは無いのだが、二年生で書記を命 じられていた生徒の字が余りにも汚く、本人ですら後日に自分の書した記録を読み 解くことが出来ないことも何度かあったので、何時の間にか雑用係扱いされている 芳弘が会議の議事録の製作を任されると言うか押し付けられていたのだ。 「ちょっと待って、最終入稿の期日の事だけれど… 」 散会の言葉の直前に、顧問の智代が口を開いた。彼女は首を傾げながら立ち上がる と、平然と記録係を強いられている芳弘の傍らに歩み寄る。
(うっ… うわぁ、先生が… 先生が近付いてくる! ) いきなりの美人教師の行動に面暗い、半ばパニックに陥った少年を他所に、彼女は 芳弘の傍らで上体を屈めて彼がメモしていたレポート用紙を注視する。 「やっぱり、日付けの一部が曖昧ね… ちょっとペンを借りるわよ」 芳弘の返事も待たずに、美貌の女教師は彼のペンを手に取ると問題の入稿日時の上 を二本線で潰して、その脇に確実な日付けを記入した。そして… 必要事項を書き 改めた後の彼女は改めて、議事録メモの最後にささっと、「このあと、進路指導室 、3番目」と、書きなぐったではないか! 「うん、これでいいわ。分かったわね」 黒目勝ちな瞳でじっと彼を見つめる智代の言葉に、少年は生唾を呑み込みながら頷 いた。 「さて、それじゃ、今回の文芸部の編集会議は、これでお開きとします。あとは各 人が締め切りを厳守して、昨年に負けない… いいえ、これまでの文芸部史上最 高の同人雑誌を配付出来るように努力しましょうね」 他の生徒に見られる事を恐れた芳弘は、女教師がしめの台詞を言い放ち注目されて いる間に、目立たぬように消しゴムを使って智代の呼び出しの文言を消し去った。 会議が終わったことで、気の早い連中はさっさと立ち上がると図書準備室を後にし て行く。まさか、このまま指示された生徒指導室に直行するのもまずいので、芳弘 は憧れの女教師の退場を横目で見ながら掃除用具が収納されている鉄製のロッカー の扉を開いた。 「おっ、ヨシヒロ、気がきくな、今度、なんらかの形で埋め合わせはするから、後 片付けの方をよろしく頼むぞ」 会議の席では終始二年生部員に主導権を持って行かれていた三年生の部長は、この 時ばかりは先輩風を吹かせて下っ端の芳弘の肩を軽く叩く。
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