その36

 

 

 

 

「披露宴で続けてもいいんですか? まだ、智代さんを辱めるのですね? 」

「ああ、楽しみにしているぞ」

鬼畜教師の言葉に力強く頷くと、彼の指示に従い芳弘は立ち上がる。

「それじゃ、今度は披露宴の会場でお待ちしていますね」

もう一度、まだ長椅子に寝そべり白日夢を見続ける美貌の女教師に目をやっ

てから、少年は急ぎ足で廊下に向かって歩き出した。待たされること無くエ

レベーターに乗り込み1階へと戻った芳弘だが、ホールではちょっとした騒

動に成っていた。

「だから、私は妹なんだってば! お姉ちゃんがどこに連れて行かれたのか

 教えてと頼んでいるだけじゃないの、このやからず屋! 」

姉にそっくりの雰囲気ながら、姉よりも遥かに短気で行動的な由梨江は、胸

ぐらを掴まれて困惑するホテルの従業員に険しい顔で詰め寄っていた。

「しかしですねぇ、お客様、特定のお客様の情報を他のお客さまに明かすの

 は、その… 守秘義務に反すると言うか… 」

「はん! 守秘義務もへったくれも無いわよ。まさか、アンタら、お姉ちゃ

 んを誘拐したんじゃ無いでしょうね? 」

姉の身を案じるがばかりに発想が明後日の方向に暴走する由梨江は、ここで

ようやくエレベーターから降りたばかりの芳弘に気付いた。

 

「あっ! お前、えっと… そうだ、新田、新田だ! やい、新田、お前、

 お姉ちゃんを何処に連れ込んだ? 場合に寄ってはタダじゃ済まないぞ!

 キリキリと白状しろ」

あの教会での想像の際に前澤を先導して姿を眩ませた少年を見つけた美女は

、ふん捉まえていたホテルの従業員を雑に放り出すと、眦を吊り上げて彼に

向かって駆け寄って来る。

「おっ、落ち着いて下さい、由梨江さん」

「さあ、吐け、すぐ吐け、全部吐け。お姉ちゃんは何処に拉致されているの? 」

昂奮冷めやらぬ美女の詰問を受けながら、芳弘は素早くホール全体を見渡し

た。しかし、騒いでいるのは由梨江だけで、他にホールに残っていた疎らな

招待客達は、極少数の者だけが、何ごとかと由梨江や自分を遠巻きに眺めて

いるだけで、大多数の客は談笑しながらゾロゾロと披露宴の会場に移動を始

めていたのだ。

(よし、ヒートアップしているのは由梨江さんだけだな… )

素早く状況判断を下した少年は、改めて自分に詰め寄る美女を見る。

「拉致なんて、とんでもありません。山口先生は貧血で倒れられたようで、

 御主人の前澤先生が事前に予約なされていた18階のスイートルームにお

 連れして、今はそこで披露宴までの間、お休みに成られていますよ」

「18階のスイートだな! よし、分かったわ」

ようやく望んでいた情報を手に入れた美女は、こんどは芳弘も雑に放り出す

と、カツカツとハイヒールの音も勇ましくエレベーターに突進する。彼女が

箱の中に消えて扉が閉ざされた事を確かめてから、芳弘は苦笑いを浮かべつ

つ携帯電話を取り出した。

 

「もしもし、僕です。下は概ね順調ですが、智代さんの妹さんだけが逆上し

 ています。今、エレベーターで上に向かいましたから、あとはよろしくお

 願いします」

『了解、それはこっちでなんとかしよう』

前澤の返事を確かめてから、芳弘はやれやれとひとつ頭を振り携帯電話を折

り畳む。彼は理不尽な美人客に散々に責められていたホテル関係者に小声で

詫びを入れたあとに、改めて前澤家と山口家の披露宴の会場の場所を尋ねた。

(ふぇ〜、マジ? マジかよ? )

入り口の受け付けの場が人込みで溢れていた時から、これは尋常ではないと

予感していた少年は、案内役に導かれて自分のあてがわれた席に腰を降ろす

と、溜息を吐きながら恐る恐る周囲を見回す。結婚式の前にホテルのホール

に屯していた招待客の数から、もしもこれが皆、前澤、山口、両家の披露宴

への出席者だとすれば、その人数は200人を下るまいと推察した少年だっ

たが、今、この地方の最大のホテルの、そのまた最も大きな会場に押し掛け

た招待客の数は200人どころか300人、いや、ヘタすれば400人に達

すると思われる大人数なのだ。

通常は結婚式では無く、企業の祭事、あるいは展示会などに使用されるホー

ルを流用した披露宴会場は、まだ主役不在と言うこともあり喧噪に満ちてい

る。そして前澤の悪巧みに必要だから、芳弘のテーブルは新郎新婦の並ぶ主

役の席に程近い。周囲には両家の親戚か、あるいは地方の名士、長老的な県

議会議員、大企業のオーナーなどが犇めき合う中で、学生服姿の芳弘の存在

は如何にも場違いだ。

親しく語らう相手を見つけだすことも出来ず、ただ俯き溜息を漏らす少年の

耳には、周囲の人間達の遠慮の無い会話が嫌が応にも飛び込んでくる。彼等

の話を総合すると、これら絢爛豪華な招待客達は、どうやら前澤の家の関係

者から招かれた様だ。前澤の祖父が、この地方の政財界に隠然たる勢力を誇

る富豪であり、その祖父の御機嫌取りの為に地方の名士一同が先を争い馳せ

参じている事を、少年は飛び交う断片的なうわさ話から理解に至った。

 

(うわ、あっちに居るのは、たしか地元選挙区選出の国会議員だし、むこう

 に居るのは、なんて名前か忘れたけれど、ちょっと前に少し売れた演歌歌

 手だ。いったい前澤先生って何者なんだ? )

たかが公立高校の教師同士の結婚式と披露宴だから、それなりの質素で清清

しい披露宴を予想していた少年は、振り返れば式場の後方は目を凝らさぬと

確認出来ない規模の大きさに度胆を抜かして呆れていた。未成年と言うこと

で、シャンパンでは無くオレンジジュースを手にした芳弘が、この満場の招

待客の中で前澤の指示通りに鬼畜な行為に及べるか否か? やや物思いに沈

んでいると、やがてメインの司会者がマイクを持って主役席の傍らに歩み出

て来た。

 

「御来場の皆様、もうしわけございませんが、花嫁さまの御支度が若干手間

 取っております。もうしばらくの御猶予をちょうだいする事を御報告させ

 て頂きます」

地方局の情報番組でレポーターを務めるタレントの司会者の言葉に、招待客

達は思い思いに頷き、すぐに雑談を再開する。

(なんだか、妙に緊張するなぁ… )

これから挑む大役を思うと、芳弘は奥歯を噛み締めて決意を固めていた。

 

 

 

 

 


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